チャンネル登録者数 30万人を超える人気YouTube『街録ch』。テレビ番組制作現場の末端である「派遣AD」から、叩き上げでフリーのディレクターにまでなった男が、そのテレビの仕事を捨ててまで、ひたすら街頭インタビューするチャンネルだ。毎日動画をアップしつづける三谷三四郎氏に話を聞いた。

デキの悪い派遣ADとしてスタート

――テレビ業界へは、どういうきっかけで入ったのですか?

三谷 お笑いが好きだったこともあって、大学3年で就職活動を始めるときにテレビ業界でバラエティーをやりたいと思ったんですね。でも、テレビ局は普通に全部落ちて、制作会社も落ちて、派遣会社しか受からなくて、派遣のADとして働くようになりました。

大きな派遣会社で、ちゃんと研修があったんですが、どうもデキが悪い人たちのグループに入れられたみたいだったんです。バラエティー番組の仕事は超大変なので、デキのいい人が派遣されるんですね。僕はそっちではなくて、情報系番組の制作会社に派遣されて、ドキュメンタリーの特番みたいなのを作っていました。

なんの興味もなかったので、派遣会社の人に、僕はここじゃないと思うので辞めさせてくださいって言ったんですけど「社会人は3年我慢しろ」って言われて、イヤだなと思いながらやっていました。面白そうな番組をやっている人もいるのに、自分は地味な番組ばかり。

本格的に担当したのは、商品紹介の1分半の再現ドラマを作る番組でした。なんでこんなところにいるんだろうなと思いながら、使えないADだからクビにするぞって怒鳴られながら。クビにしてほしいって思っていたんですけど(笑)。

――希望どおりではなかったと。

三谷 でもよかったのは、ADが1人だけだったことです。そういう番組のディレクターって、やっぱりあんまりやる気がないんですね(笑)。僕も初めは使えなかったんですけど、1人だけなんで仕事を早く覚えられました。ADが10人とかいる番組だと8人は指示待ちで働いてないですからね。

▲派遣ADとしてテレビ業界に入った三谷三四郎氏

編集も好きで、ある程度できたというのもあって、その後、いろいろ任せられるようになって、2年目くらいには1分半の再現ドラマを撮らせてもらっていました。それは、のちのち役に立っていますね。でもやっている最中は、早くバラエティーやりたいなと思いながらの3年間でした。

3年経って、念願のバラエティー番組に行けたんですけど『笑っていいとも』だったから最悪でした。編集もできて、再現ドラマが撮れるスキルがあるのに『笑っていいとも』はVTRがないですから、まったく生かせない。ショックでした。

またゼロからのスタートで、4年目なのに1年目の子とADからやりなおし。ボードの「めくり」を作ったりとか、買い物に行ったり、そんなことをやってました。僕より歴の浅い人が先に出世するのもショックでしたね……。