コロナ禍で見えてきた意思決定の不透明さから、今後同じ失敗を繰り返さないためにも「証拠」として働くべきアーカイブは、官僚バッシングのためではなく、未来への指針として残されるべきもの。アーカイブの成り立ちと重要性を憲政史研究家の倉山満氏が説く。

※本記事は、倉山満:著『救国のアーカイブ』(ワニブックス:刊)より一部を抜粋編集したものです。

アーカイブとレコードマネージメント

アーカイブ先進国のアメリカでは、大統領ごとに「図書館」と称する文書館が作られます。 たとえば「バラク・オバマ大統領センター」「ジョージ・W・ブッシュ大統領図書館」「ウィ リアム・J・クリントン大統領図書館」「ジョージ・ブッシュ大統領図書館」「ロナルド・レーガン大統領図書館」「ジミー・カーター大統領図書館」といったように。

名前は「図書館」 とついていますが、実態は文書館(もんじょかん)です。その大統領の執務記録を保存・整理・公開していて、第28代ウッドロー・ウィルソン大統領以降、第29代ウォーレン・ハーディング以外のすべての大統領には、なんらかの形で文書館があります。

この場合の文書は紙とは限らず、音声テープも文書です。保存・整理・公開されたあとならば、当時の大統領の電話の肉声を聞くことができます。

▲ジョージ・W・ブッシュ大統領図書館 出典:ウィキメディア・コモンズ

日本でも、政治家の個人文書を収集し、保存・整理・公開している国立国会図書館憲政資料室には、多くの政治家の肉声テープが残っています。モノによっては、書き起こしもあります。主にインタビュー記録ですが、将来は実際の電話テープも収納されるかもしれません。そうした保存技術もまた、アーカイブの対象です。

アーカイブの隣接分野、ほぼ双子の兄弟のような関係にある、レコードマネージメントの分野では、文書(ぶんしょ)のことを「証拠」と呼びます。

つまり、意思決定においてこのような過程があった、との証拠です。結果的に失敗したことにおいても、だれそれはこういう意図であったという証拠にもなります。こいつがこんなことを言っていたから、こんな目にあったという証拠にもなるし、この人がこんなに立派なことを言ったから、素晴らしい結果となったという証拠にもなります。

ここでレコードマネージメントについて、お話ししておきましょう。

現用の段階から「どのように保存するか」を意識して扱うことで仕事をしやすくする、という考え方の技術が、レコードマネージメントです。手頃な入門書として、エリザベス・シェパードとジェフリー・ヨーによる『レコード・マネジメント・ハンドブック』(森本祥子 他編・訳/日外アソシエーツ/2016年)を紹介しておきます。

▲『レコード・マネジメント・ハンドブック』

最近では、レコードマネージメントをアーカイブから分離する考え方もあります。しかし、アーカイブとレコードマネージメントのどちらかだけができて、もう一方はできないということは根本的にありえません。

したがって、アーカイブとレコードマネージメント、ともに文書管理ということで一本化して考えていただいて結構です。アーカイブが史料を対象とし、レコードマネージメントが資料を対象とします。ここでの文書管理とは、史資料管理です。

レコードマネージメントとアーカイブの違いは、現在と過去にあります。現在進行形で文書を使っている人たちの、その使い方の技術がレコードマネージメントです。現用から離れた過去形のモノを整理することがアーカイブです。レコードマネージメントが資料管理、アーカイブが史料管理です。

したがって、レコードマネージメントは、何をどのように保存すべきかという視点に立つアーカイブのことを常に考えながら行われる必要があります。逆に、レコードマネージメントの実務を知らない人が、アーカイブの作業をできるはずがありません。だから、アーカイブとレコードマネージメントは一体なのです。

アーカイブによって史実の評価が変わることもある

一つの事実をどのように評価するかは、後世の歴史研究に委ねられます。アーカイブ自体に価値判断はなく、良いか悪いかの評価を後世の人がするための証拠を残す技術がアーカイブです。

ところが、評価する材料としての証拠が残されていません。専門家会議の有識者も「お前の文書なんか記録に残せるか!」などと言われてしまう下っ端官僚も、記録が残っていれば、後世の歴史家によって「この人がこの時点でこんなに優れたことを言っていた」という評価がなされる可能性もあります。

今の日本では、今回のコロナ禍に限らず、一事が万事この調子です。

▲松岡洋右 出典:ウィキメディア・コモンズ

いかに記録が重要か。有名な例を挙げます。

松岡洋右は1933年の国際連盟脱退の際の全権代表で、教科書などでは「堂々と脱退演説」などと見出しがついて語られる人です。しかし、松岡自身は国際連盟の脱退に反対であり、当時の内田康哉外相とのやりとりが外交史料として大量に残っています。

もし残っていなかったら、どうなったでしょう。今ですら松岡は「国際連盟脱退をやった人」のように語られるのですから、記録が無ければ松岡の真意は永遠に闇に葬り去られたでしょう。アーカイブは、官僚バッシングの道具ではなく、むしろ真面目に仕事をする人を守る技術なのです。

戦前の外務省は記録に熱心な官庁だったので、救われました。