2001年に情報公開法が施行されてから、逆に「文字を残さない」という方向に向かった官僚文化。安倍前内閣の時から露呈した日本政府の杜撰な公文書管理体制を、憲政史研究家の倉山満氏が斬る。
※本記事は、倉山満:著『救国のアーカイブ』(ワニブックス:刊)より一部を抜粋編集したものです。
杜撰な公文書管理を露呈した安倍前内閣時代
安倍内閣の時代には森友事件の他にも、公文書に関係する複数の問題が起きました。防衛省が廃棄したと説明していた、南スーダン国連平和維持活動部隊の日報が、実は保管されていたという、いわゆる自衛隊日報問題。
愛媛県の学校法人「加計学園」の獣医学部新設に関し、愛媛県が存在しないとしていた「首相の意向文書」が、のちに国会に提出された、いわゆる加計事件。森友事件と加計事件は、あわせて「モリカケ」と呼ばれ、何年も政治問題化しました。
安倍内閣の末期には検察人事をめぐる、いわゆる「黒川騒動」で揺れました。黒川騒動でも公文書の管理が問題にされ、大臣の答弁が崩壊していました。
何が大事なことなのか、公文書管理のイロハもできていないのかと野党に追及され、当時の森まさこ法務大臣は、毎日のように涙目でしどろもどろな答弁をしていました。
森友事件では自殺者も出ており、黒川騒動は言い訳不能の失態でした。こうした結果だけでも、安倍内閣の公文書管理は杜撰としか評価しようがありません。
ただ、公文書管理の専門家は、安倍批判の左派の人たちが多いのですが、その左派の人たちが共通して言っていることが二つあります。一つは、安倍内閣の公文書管理は論外。もう一つは、日本政府の公文書管理の杜撰さは、安倍内閣の責任にだけ帰すことはできないほど根が深い。
行政と国民を敵対関係に見据えた情報公開法
公文書をめぐる多くの問題については、もちろん各方面から批判の声が上がりました。しかし、批判する側が正しいかというと必ずしもそうではない、ということも同時に浮き彫りになりました。
野党およびマスコミによる公文書管理に関する批判は、そのほとんどが「捨てるな」「隠すな」「見せろ」に集約されます。こうした批判は、2001年4月1日に施行された「情報公開法」に基づきます。
情報公開法は、わかりやすく言えば、政府は悪いことをするに決まっている存在だから、常に隠ぺいするということを前提として、情報公開を求めることができるという法律です。情報公開とは「見せろ」と迫ることです。その情報公開法の第一条には、法律の目的が書いてあります。
この法律は、国民主権の理念にのっとり、行政文書の開示を請求する権利につき定めること等により、行政機関の保有する情報の一層の公開を図り、もって政府の有するその諸活動を国民に説明する責務が全うされるようにするとともに、国民の的確な理解と批判の下にある公正で民主的な行政の推進に資することを目的とする。
のっけから「国民主権」と大上段に構え「国民の的確な理解と批判の下にある公正で民主的な行政の推進に資する」と締めています。普通の日本語で読めば、行政と国民が敵対するのを前提としているのがわかると思います。
もちろん、行政と国民には適度な緊張関係が必要です。ややもすれば、権力を振るう行政が国民に対して横柄になるのは、腐敗です。国民に説明を求められても「この程度でよかろう」とごまかすのは、腐敗した権力者がよくやることです。
だから、本来は国民が主権者であり、官僚は奉仕者にすぎないと思い出させるために「国民主権」「民主的」と強調するのです。