耳にしただけで、すぐ涙ぐんでしまう単語がある。それは「母」という単語だ。私たちは、母親から非常に大きな愛を受けている。10ヶ月という期間、お腹の中で育ててくれ、ひどい苦痛に耐えてまで、私に世の光を見させてくれた。いくら駄々をこねようが、心を傷つけようが、母は変わることなく私を抱きしめ続けてくれる。韓国のベストセラー作家であり、書評サイトの運営者でもあるチョン・スンファン氏が、世界中の名著から見つけた、あなたにそっと寄り添う文章を紹介します。

※本記事は、チョン・スンファン:著+小笠原藤子:翻訳『私が望むことを私もわからないとき』(ワニブックス:刊)より一部を抜粋編集したものです。

母はそれでもいいんだと思っていました

ある日、ふと母の額と目尻に深いシワが刻まれているのを発見したとき、心のどこかがガクンと崩れ落ちたような気がした。世間知らずの小さな子どもが、いい大人になったのだから、母が歳をとるのは当たり前のことなのに、なぜそんなことも想像できなかったのだろうか?

時々、幼い頃のアルバムを取り出して、母にも若く美しかった時期があったのだと思うたびに、わけもなくもどかしく、感謝、申し訳なさなど、複雑な感情がこみ上げる。母が生きてきた人生を、私たちが一歩ずつなぞって追うと、改めてその無限の愛の大きさを感じさせられるのだ。そのような気持ちで読むと、より一層響く詩がある。

母は
それでもいいんだと思っていました
一日中畑で死ぬほど働いても

母は
それでもいいんだと思っていました
かまどに座って冷や飯で昼を適当に済ませても

母は
それでもいいんだと思っていました
真冬の川に素手で棒を打ちつけ洗濯をしても

母は
それでもいいんだと思っていました
自分は我慢して家族に食べさせ、ひもじくても

母は
それでもいいんだと思っていました
かかとが擦りむけ、布団から音がしても

母は
それでもいいんだと思っていました
手の爪が、切ることもできないほど潰れていても

母は
それでもいいんだと思っていました
父が声を荒らげようが、子どもが泣こうが、毅然としている

そんな母は
それでもいいんだと思っていました
「母に会いたい」
「母に会いたい」、それはただの愚痴だとばかり……

夜中に起きては、部屋の片隅でひたすら声をころし
泣いていた母を目にし
あっ!
母はそれではだめだったのでした

詩人シム・スンドクの「母はそれでもいいんだと思っていました」である。もともとこの詩は、雑誌『よい考え』の百号記念百人詩集『君の愛に包まれて休みたい』に収録されて知られるようになり、以後、多くの人から愛される「国民の詩」になった。

彼女は1960年江原道横渓(カンウォンドフェンゲ)で、9人兄弟の末っ子として生まれ、母の愛情をたっぷり注がれたという。彼女は31歳のときに母親と死別し、恋しさに浸るあまり、この詩を書いた。特に最後の一文が、私たちの心を大きく動かす。

そう。母はそれではだめだったのだ。本当にそれではだめだったのに、なぜ母の愛は当然だと思い込んでいたのだろうか。いつもそばで注いでくれる愛の大切さを、なぜ忘れて過ごすのだろうか。親から子への愛という言葉通り、その無限の愛の大切さは、我が子を前にして一層、切に感じられるようになった。

▲親から子へ言葉通りの無限の愛 イメージ:PIXTA

ママはあなたを愛していると覚えておいて

去る2008年、中国・四川地方で大地震が起きた。四川省北部山岳地帯の汶川(ウェンチュアン)が甚大な被害にあった。ほとんどの建物は原型をとどめないくらいの壊滅状態で、多くの人がその下敷きになった。多数の救急隊員が生存者をくまなく捜索し、ある場所から1人の女性が発見されたのだが、残念なことに、体はすでに冷たくなっていた。

ところが、その女性は特異な体勢をしていた。右手に箸を持ち、かがんだまま何かを包み込んでいた。食事の最中に地震が起き、落下物から何かを慌てて全身で守ろうとしたのだろう。救急隊員が注意を払いながら女性の体を引き揚げると、その腕の中で花柄のおくるみに包まれた赤ちゃんが、静かにすうすうと息をしていたのだ。

まるで何事もなかったかのように。赤ちゃんには、母の胸が一番暖かく落ち着く空間だったから。おくるみの中からは携帯も見つかったが、そこにはこんな言葉が残されていたらしい。「愛する私の子、もし生きていたらこれだけはきっと覚えておくこと。ママはあなたを愛していると」

あなたは、母親を名前で呼んだことがあるだろうか? また、あなたが誰かの母親なら、自分の名前を子どもたちに呼ばれた記憶はあるだろうか? 自分の名前を失い、常に「誰かのお母さん」として生きてきた人生、自分に構うことなく、ひたすら母親として生きるその人生の重みを、じっと考えてみた。

多くを諦め、子どもたちのために犠牲を払ってきた人生のはずだが、子どもの名前で「〇〇くんママ」と呼ばれると、それだけで元気になれ、笑みが浮かび、幸せを感じられることもあっただろう。

(アリストテレスは)真の幸福を「エウダイモニア」と言ったが、これは人間の本性で最も高潔で最高善であるものにより得られる喜びのことだ。これは「幸福とは、魂の活動が美徳と一致するもの」とし、そのような最高の幸福を、祖国や神のように「より高い名分」のために、自分の命を犠牲にすることで見つけることもできると書いた。

ジュール・エバンスは『人生を愛する技術』で、哲学者アリストテレスが語った幸福をこう説いている。このように世界の多くの母親たちにとって、子どもの幸せはまさに自分の幸せだったのだろう。それは自分のために何かをして得られるものではなく、ひたすら誰かのために犠牲を払うことによって得られる、崇高な幸せなのだ。

母にとって、子どもの犠牲になることは幸せだったのだろう。これが、私たちが母という言葉を耳にすると涙ぐむ理由なのだろう。しかし、そんな気持ちを、胸に秘めてばかりいるのではなく、今こそ母に感謝していると、大好きだと伝えるのはどうだろうか。そして自分の名前まで失くして生きてきた母の名前も、たまには呼んでみればいいと思う。

「〇〇くんママ」として生きてきた人生も幸せで、うれしかったと言ってくれるだろうが、私たちのために名前を捨てざるをえなかった母に、また自分の名前で生きていくという幸せを取り戻してほしいから。

▲母親を名前で呼んであげよう イメージ:PIXTA

以前、ある広告を目にした。健康診断を終えた人々に、医者がこう告げるという内容だ。

「あなた方に残されたのは、あと9ヶ月です」

人々は不意の告知に驚き、健診結果を開いてみた。そこにはこんなことが書かれていた。「随分心配されたでしょう? お先真っ暗になりましたか? あなたは日々どういう時間を過ごしていますか? 普段何時に退社し、1日何時間睡眠をとっていますか? 友人と過ごす時間はどのくらいでしょう? その時間をすべて除いたら、あなたが一生で家族と過ごせる残りの時間は9ヶ月です」

この広告は大きな反響を呼んだ。私もまた涙がぽろぽろこぼれ、どれだけ家族と過ごす時間をとれているか考えてしまった。

私たちは人生で多くの別れを経験する。考えただけでも悲しくなるが、母ともいつかは別れのときが来る。だから大切な人と、もっと同じ時間を過ごすべきなのだ。私はすぐにでも母に電話をかけ、久しぶりに母の名前で呼びかけながら、とても大切に想っている、そんな気持ちを伝えるつもりだ。