小沼綺音、自分でいっぱいいっぱいになる
みなさま、こんにちは。
そういえば3度目にして、自分の中で腑に落ちたのだが、この記事での挨拶は「こんにちは」が最も適当、模範解答だろう。なぜならば、アップしていただくのがいつもお昼頃だからである。更に、アップされたら脊髄反射でURLを踏んで貰えていたらいいなという、ささやかなわたくしのワクワクも、理由の一つだ。
もちろん、いろいろな事情で直ぐに手をつけられない方もいらっしゃるだろうが、夜や朝にこの記事を見たとき、あたたかい気持ちで「こんにちは」と挨拶を返していただけると光栄だ。
2度目の掲載から重大イベント、それはわたくしの中では重大だったのだが、出来事が2つあった。1つ目は、度々わたくしの文章に登場する母のn回目の誕生日、2つ目は、2度目のワクチン接種だ。なんと、この2つはほぼ時期を同じくして起きた。見事に副反応で熱を出したわたくしにとって、この2大イベントが重なってしまったのはもはやハプニングだった。
せっかく年に一度の大事な母親の誕生日を、自分でいっぱいいっぱいという最悪のコンディションでやりすごし、罪悪感にさいなまれた。もっとも、祝われるほうの母は自分の誕生日というのをあまり気に止めていなかったようで、むしろ副反応で苦しむわたくしを心配してくれていた。それでも彼女の誕生日当日に洒落たことができないのは、自分の中でやはり腑に落ちない部分があった。このご時世なので、たいした洒落もきいたものではないが。
熱にうなされながら、だめな男を思い出した
周囲の人が大事なときに、自分でいっぱいいっぱいになり熱を出してしまう、少々だめなやつの小説があった。森鴎外の『舞姫』である。この作品、国語の教科書で取り上げられていることが多いので、みなさまもどこかでお目にかかっているかもしれない。
わたくし自身は文語体、いわゆる昔の言葉で書かれていて読みにくく、すっきりしない内容も相まって、ページを繰るごとに「うん?」と思わずにはいられなかったが、みなさまはいかがだったろうか。良くも悪くも印象的だったとはいえ、わたくし自身、細部などは忘れかけてしまっている。そのため、自分用にも簡単にあらすじを載せさせていただく。
主人公は、太田豊太郎という非常に優秀な青年である。彼はなんと19歳で大学を卒業し、その後、政府から医学留学生に抜擢されて単身ドイツへ渡る。国や親の期待を背負い、最初こそ学問に励んでいたもののヨーロッパの自由さに感化され、次第に勉学に身が入らなくなってしまう。そして彼は運命の女性、踊り子のエリスと出会ってしまうのだ。
エリスは父親を亡くし、でも貧しさゆえ葬儀代を出すことが出来ず、橋で涙していたところを豊太郎に救われる。その金銭的援助がきっかけで2人は徐々に仲を深めるのだが、如何せんこの時代だ、外国の女性と関係を持つなど考えられず、同僚からの密告で豊太郎は国からの資金を断たれてしまう。生活に困った彼はエリスに助けられ、しばらくエリスの家で過ごすが、友人であり恩人となる相沢という男の計らいで、ある伯爵から仕事を貰う。
伯爵からはエリスとの別れを要求され、それを一度はのむものの、ウダウダ交際を続けた挙句、彼女の妊娠が発覚してしまうのだ。さて、いよいよ板挟みになる豊太郎。苦悩のあまり熱を出してダウンする。彼は本来の目的を選ぶのか、それともエリスを選ぶのか。
と、大まかにこんな感じであるが、記憶を掘り起こしても全くワクワクしない展開である。エリスは、豊太郎のダウン中に訪れた相沢の口から、豊太郎は国へ帰ることが決まったと告げられて発狂するのだが無理もない。わたくしであったら発狂どころでは済まず、慰謝料の取り立てのひとつでもしようとするだろう。なんとも主人公に肩入れができない物語である。
しかし、人間は追い込まれると自分で手一杯になるというのは、痛いほどわかってしまう。ただでさえ○○なのに、そのうえ○○だ、という状況は苦痛なのだ。先日の副反応の最中に迎えた母の誕生日はまだ良いほうで、精神的に幼く要領も悪かったわたくしは、板挟みをうまく切り抜けられなかった経験を持っている。