制服を着ていると石を投げられる時代もあった
ノーベル文学賞を受賞した大江健三郎は1958年、毎日新聞に「防衛大学生をぼくらの世代の若い日本人の弱み、ひとつの恥辱だと思っている。そして、ぼくは、防衛大学の志願者がすっかりなくなる方向へ働きかけたいと考えている」と寄稿した。
このような思いは大江氏に限ったことではなく、昔はままあったと聞く。入校後、しばしば指導教官から「君たちの先輩方は、防大に行くとなると冷ややかな目で見られ、進学後には制服を着ていると石を投げられることもあった。今、君たちがそんな扱いを受けることはないだろう。それはひとえに諸先輩方のおかげである」などと言われたものだ。
たしかに振り返ってみると、防大に進学してから冷ややかな目で見られたことはほとんどない。1度、乗車したタクシーの運転手に会話の流れで告げたところ「なんでわざわざあんなところに」と、あからさまに嫌悪の感情を示されたこともあったが、それよりも「防大の学生さんですか。応援してます! がんばってください!」と言われたことのほうがよっぽど多い。
総じて防大生に対する世間の感情が極めて好意的になっていること、そこはひとえに諸先輩方への感謝しかない。
最も身近な親の反応はどうか。ネットを見てみると「親に防大受験を反対されている」「防大を志望する息子を翻意させたい」というような書き込みも見られるが、取材では、親から「防大そのもの」を否定された者は少数だった。
多くの場合「親はすごく喜んでくれた」と振り返る。特に北海道や九州など、駐屯地や基地の数が多く、自衛隊への感情がよい地域の親ほど、喜びの感情が大きいようだ。
なかには「そもそも親から『お金がかからないなら行け』と言われていた」「親も親族も、私が帰るたびに防大の話しかしないし、かなりもてはやされた。やめたいと思うこともあったが、そんな環境だったからできなかった」と振り返る者もいた。
「男社会で大丈夫か」と心配する母
反対された者はというと「親は昔から役人、公務員が嫌いなタイプだった。加えて、母は短大生活や若い頃を楽しんだ人なので、ガチガチの高圧的な組織に入ってほしくなかったんだと思う。また、もともと国立大医学部志望だったので、第一志望からの落差も大きかった」「地元では防大はそんなに知名度もなかったし、自分は運動が得意でもなく、おっとりした性格なので止められた」などと話した。
両親が自衛官というケースでは「母からは『よく考えなさい』と言われた」と話す者もいた。「有事の際に命を捨てる覚悟について問われた。あとは、母の時代は育休はおろか、産休すらまともに取れないような環境だったので、それだけ女性として働くのに困難のあるところだった、と言われた」という。
また反対とまではいかないが「心配された」という意見は複数あった。「なんでわざわざ、そんな危ない世界に行くのか」「男社会で大丈夫か」などと母親から心配されたというものから「高校のときは遅刻癖があったので、やっていけるのかと思われた」「やっていける体力があるのか」というものまであった。
私自身で言うと、父親は単純に喜び、母親は「一人の人間としてはすごく興味があるけど、母親としては心配」と複雑そうな表情を浮かべていた。