古代中国にもゲン担ぎのような呪いがあった

古代中国の呪術について知る手掛かりは、歴史書の記述だけに限られません。近年は()()(ちくかん)・木簡(もっかん)など考古学史料の研究も進み、当時の息吹をより生々しく感じられるようになりました。

古代の占い書は「()書(にちしょ)」と称されます。この分野の研究は、工藤元男氏の『占いと中国古代の社会発掘された古文献が語る』(東方選書)に詳しく、同書によれば、戦国時代・秦の版図内のものでは、現在の湖北省()夢(うんぼう)()()地(すいこち)、同じく江陵県()()台(おうかだい)、同じく江陵県()店(きゅうてん)()()()()()(かんしゅくしょうばくせきくほうばたん)()の4遺跡、中華統一後の秦代のものでは、湖北省沙市清河村周家台と湖北省江陵県岳山から、まとまった量が発見されています。

睡虎地遺跡からは、悪夢をみた場合、それを()除(ふつじょ)()するために唱える()辞(じゅもん))などを記した()夢(せんぼう:夢占い)の日書が多く見つかっています。たとえば、以下のようなものです。

甲乙の日の夢で、自分が黒色の毛皮の服を着て、黒い帽子を被っているのを夢見たら、それは喜事の兆しであり、水中および山間の渓流のなかで得られる。

庚辛の日の夢で、青色と黒色のものを夢見たら、それは喜事の兆しであり、木の方角と見ずの方角で得られる。

また、放馬灘遺跡からは出行(遠出)に関する日書が多く見つかっています。

一例を挙げましょう。

行きて邦門の困に到れば、()歩(うほ)すること三度、壱歩を勉(すす)むごとに「ああ、あえて告ぐ」と叫び、曰く、「某の行に災いなかれ、先に禹のために道を除(はら)()わん」と。すなわち地を五画し、その画せる中央の土を拾いてこれを懐(はら)()む。

ここにある「邦門の困」とは、城門や村落の出入り口のこと。「禹歩」は、陰陽道の()閇(へんばい)の前身といえる特殊な足の運び方を指します。境である門杭(敷居)まで来たら、禹歩をするのが道中の安全を祈る呪いだったのです。

▲秦の始皇帝と方士の徐福(著者撮影)