『男はつらいよ』の舞台にもなった南さつま市

EXITの『萎えぽよエリアぶちアゲ活性化ツアー』、10カ所目は鹿児島県南さつま市。人口33,000人、薩摩半島の西側に位置する市だ。

鹿児島空港に降り立ったのは午前9時半のこと。ここからバスに乗り、およそ70分のところにある町「加世田(かせだ)」のバスターミナルへ向かう。着いて「ん!?」と思ったのは、ターミナルの広場にSLの車両があること。古びた木でつくられた駅看板もある。もしかして、ここって昔は鉄道の駅だったのかな。事情を聞こうと辺りを見回してみたら第一町民を発見した。気分は『笑ってコラえて!』のダーツの旅である。

▲のどかな加世田駅。かつては南薩線の駅だったため、往時走っていたSLが展示されている。廃線になって以降、駅舎はバスターミナルとして利用されている

広場の脇に佇んで、誰かを待っていたのは70代くらいのおじさん。彼に聞いたら「そう、ここは昔、枕崎線の駅だったの。もうずいぶん昔に廃線になったけどね」と、独特の抑揚がある鹿児島なまりで教えてくれた。

町の動脈である鉄道が廃線になったというのは、かなり萎えぽよ感あるなぁ、と思っていたら「『男はつらいよ』をここで撮影したことがあるんですよ」とのこと。へえ。寅さんも訪れた町ということは景勝地なのかな。 

私が旅人と見るや、おじさんは「どこかに行くんなら車で連れてってあげるよ」と言ってくれた。え? 誰かを待ってるんじゃないですか? 「(待ってるのは)家族だからね。来たら一緒に行ったらいいでしょ。『万世特攻平和祈念館』はぜひ行ったらいいよ。案内しますよ」とのこと。

なんて親切なんだろう。よそから来た人に地元の名所を見て欲しいという郷土愛を感じる。とてもありがたいのだけれど、まずは加世田の町を自分の足で歩いてみたかったので、そうお伝えして別れた。

駅周辺を散策しながら、町の雰囲気を楽しむ。途中、家の前で日向ぼっこしていたおじいさんに「この近くに素敵なところはありませんか?」と聞くと、おじいさんは「神社に大きな木があるよ。クスノキとイヌマキ。たぶん日本で一番大きい木だと思うから見に行ったら」と教えてくれた。

幕末、鹿児島の人が活躍した背景に「いろは歌」

かくして私は『竹田神社』を訪れた。

境内には地元のボランティア会のガイドが数名いて、会長の福元拓郎さんの案内で林道に向かう。大きなクスノキはあとで調べたら「日本一大きい木」ではなかったけど、それでも十分圧倒的で、静かな迫力があった。

もう一つのお目当て、イヌマキの木はというと、なんと平成28年に大量繁殖した「キオビエダシャク」という虫が食い尽くして枯れてしまったのだそう。その被害は神社に生えている58本のうち30本にも及び、食われた木はいずれも葉がすっかり落ちてしまい、生気を失っていた。

▲加世田の歴史のエキスパート、加世田いにしへガイド会長の福元拓郎さん
▲イヌマキの木は虫に食われて枯れてしまっていた

残念に思っていたら、福元さんが「見どころはまだありますよ」と、林道にあるいくつもの歌碑を指して、1つ1つ解説してくれた。

歌碑は「いろは」順になっており、例えば「は」は「はかなくも明日の命を頼むかな 今日も今日と 学びをばせで(=明日のことは誰にもわからない。今、このときを大切に学びに勤しもう)」、「き」は「聞くことも又見ることもこころがら みな迷なり みなさとりなり(=私たちが見たり聞いたりすることは全て心の持ちようで、迷いにもなるし悟りにもなる)」というように和歌が刻まれている。これらの『いろは歌』は、薩摩藩を治めていた島津忠良(1492-1568)という戦国武将が詠んだものだそう。

「日新公(=じっしんこう)」と呼ばれ親しまれている彼が詠んだ『いろは歌』は、長らく薩摩の庶民の道徳教育に使われていた。福元さん曰く「人としてどうあるべきかということはもちろんのこと、処世術までを含んでいるので、その教えが染み付いた薩摩の人は立派な人物が多いと言われておりますね」。

西郷隆盛や大久保利通、小松帯刀など、幕末に鹿児島の人が活躍した背景には、この『いろは歌』の教えがあるとも言われているそうだ。なるほど、納得である。物事を動かすのは人間力のある人だものね。

▲島津日新公による『色は歌』の「い」は「いにしへの道を聞きても唱へても 我が行ひにせずばかひなし(=昔の立派な教えを聞いたり唱えたりしても、それを実行しなければなんの意味もない)」など、現代にも通ずる名言揃い