政府がお金を使うべき場所はどこ?

生産性を向上させるには、単なる掛け声だけでできるわけではありません。例えば人を再教育するとします。そうしたら教育関係に投資しないといけません。テクノロジーで底上げしていくことを狙うなら、お金を使って基礎研究を充実させないといけません。

これは政府と民間それぞれに役割があります。基本的に収益に直接結びつくようなことは民間に任せるべきです。政府のやるべきは、ただちに収益に結びつかないけれども、民間がそれを応用すれば、新しい価値ができ、ビジネスに展開できるようなことを具現化することです。要するに基本的な技術。

バイオやITで最もベーシックな技術をずっと底上げしていくとか、理論的な研究とかたくさんあります。これは収益が望めないので民間企業ベースでは難しい話です。政府はこのような研究にお金を使うべきです。

▲政府がお金を使うべき場所は? イメージ:metamorworks / PIXTA

あとは防衛関係です。それから教育やインフラもそうです。これは先の展望があることだから推進すべきです。

「政府が借金したら財政赤字で大変だから、財政破綻するからダメだ」と決めつけるのは、甚だしく“非”経済学的だと私は思います。

経済成長率は、一般的に国内総生産(GDP)の伸び率のことです。GDPは、要するに新しく作り出される経済価値の集合体、いわゆる付加価値、つまり「粗利」の合計額を指します。

経済成長はGDPがベースになっています。GDPが増えるということは、実際には消費が増えるか、投資が増えるか、あるいは輸出が増えているということになります。

GDPが増えていくことによって、例えば一般のサラリーパーソンにはどういう恩恵があるのか。GDPは国内総生産と呼ばれていますが、生産額というものは最終的に国民が得る所得にほぼ等しくなります。要するにGDPが増えるということは、マクロとしての所得が増えることになるのです。

GDPが増える、つまり経済のパイが大きくなるということは、それだけみんなが豊かになる、所得が増える基礎になるわけです。しかしながら、万人等しくその受益があるとは、もちろん限りません。私の給料が増える……ここはまた違う世界になります。

ただ所得が増えるということは、政府はそれだけ税収が増えます。税収が増えるから、政府はそれによって予算を組んで、軍備を増強したり、研究投資したり、インフラを整備したりということになります。それでまた経済、国民が豊かになる。これがベストの好循環です。

経済成長で若者世代にチャンスが生まれる

▲経済成長でチャンスが生まれる 出典:metamorworks / PIXTA

経済成長はなぜ必要なのでしょう。

人はみんな年を取ります。それゆえ、家族や社会は高齢者を養う必要があります。平均寿命が延びれば延びるほど、現役世代がその人たちを養わないといけない。さらに子どもたちも育てないといけません。高齢者が安心して暮らし、子どもたちを育てて社会を次世代につなげるには、現役世代の収入が増えることが不可欠です。

つまり、前世代と次世代を支えるために必要なものは何かというと、それは「原資」なのです。そして原資はどこから来るかというと、経済成長です。

だから「ゼロ成長でもいい。いや、マイナス成長でもいいじゃないか。成長しなくてもいい。みんな静かに暮らして、それでいいじゃないか」というわけにはいかないのです。

マクロの経済成長がない、つまり経済のパイが大きくならないということは、チャンスがそれだけ失われることになります。とくに新規参入というか、これから社会にどんどん登場しようという意欲のある若者が、チャンスを持てないということになります。

例えていうと、マクロ経済はものすごく大きな競技場で、そこには誰でも――金持ちでも貧乏人でも、車椅子が必要なハンディキャップを持った人でも、入ってきて練習できるとします。

ところが、なんらかの理由でその競技場のパイが小さくなると、立場の弱い人たちから締め出されてしまいます。それは、チャンスが失われていくということです。中にいられればチャンスはあるのですが、入ることすらできないというのが、マクロ経済がダメになった状態。

勤労世代が所得を増やすチャンスを持てないと、生まれた子どもたちにしわ寄せが来ます。教育機会が非常にお粗末になる。金銭的に恵まれた家庭はしっかり塾に行かせたり、お稽古事をさせたり、家庭教師を雇うこともあるかもしれません。そうやってさまざまな教育機会が充実していきます。非常に豊かな教育機会に恵まれるわけです。

人間というものにはいろいろ能力差があるといわれます。しかしながら、おぎゃあと生まれてから、人間の頭脳は環境によって決まる部分が非常に大きい。天分の部分もないわけではありませんが、やはり環境に大きく左右される。

そういうわけで経済が委縮した状態で放置しておくのは、人や社会の進歩に対して大変なマイナスになると思います。一種の犯罪ではないかとすら思いまうのです。