NHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』に登場する不気味なキャラクター・善児。主要人物の暗殺などを請け負う「汚れ役」として、視聴者に強い印象を与えています。第15回の「足固めの儀式」では、上総広常が粛清される直前に重要な役回りを与えられていました。謎の存在として描かれている善児について、歴史家で作家の濱田浩一郎氏に聞いてみました。

下人とは主人のために雑務をこなす存在

今回は、大河ドラマ『鎌倉殿の13人』に登場する不気味なキャラクター・善児についてみていきたいと思います。この善児を『鎌倉殿の13人』の公式サイトは次のように紹介しています。

伊東祐親に仕える下人。祐親から信頼され、与えられた役割を淡々とやり遂げていく不気味な仕事人 

そう、善児は、伊豆国伊東の豪族・伊東祐親に仕える者なんですね。

では、この「下人」とは、どういう立場の者なのでしょうか?  下人というのは、その言葉からわかるように「位が下の人」とか「身分が低い者」という意味があります。ですので、善児は武器を持って、数々の人を殺していましたが、武士身分ではありません。下人は主人のために、家事・農業・軍事など雑務をこなす存在でもありました。

しかし、その存在はとても不安定であり、財産として売買される、つまり人身売買の対象となるような存在だったのです。武家の奉公人のトップ(上層)は「郎従(郎党)」と呼ばれ、最下層が「下人」と呼ばれました。下人は功績があっても、土地を与えられることはありませんでした。

善児は、そのような身分・状態にあったのです。不遇な立場であった下人ですが、例えば室町時代頃になると、土地を与えられて、家を構えて自立できる者も現れてきますが、鎌倉時代にはまだそのようなことはありませんでした。 

下人は主人の奴隷とは限りません。自由に売買されたのが奴隷です。もちろん、下人のなかには田畠とともに売買される者もいましたが、その一方で、主人と別居し、生活する者もいたからです。

▲石橋山古戦場(佐奈田霊社) 出典:Bachmann / PIXTA

頼朝から恩赦の言葉をもらい自殺した伊東祐親

さて、俳優の梶原善さんが演じる善児ですが、皆さんもお気づきかもしれませんが、架空のキャラクターです。でも、ドラマでは重要な役割を与えられていますよね。源頼朝と八重のあいだにできた千鶴丸を川に沈めて殺したり。北条義時の兄・宗時を刺し殺したのも彼でした。

そして、主君である伊東祐親とその子・祐清も躊躇なく殺しました。ちなみに、伊東祐親親子は、ドラマでは善児に殺される展開でしたが、鎌倉時代後期に編纂された歴史書『吾妻鏡』には「自殺した」とあります。

祐親は、頼朝挙兵後も平家方に与し、頼朝を苦しめました。が、頼朝が勢いを盛り返えしていくなかで、捕らえられて、三浦義澄のもとに囚人として預かりの身となっていました。祐親が命を助けられたのは、伊東祐親の娘が、北条家や三浦氏に嫁いでいたこととも関係があるでしょう。

ドラマの主人公・北条義時も、北条時政と祐親の娘とのあいだに生まれています。そうしたつながりがあるなかで、頼朝も、敵対したとはいえ「伊東祐親を殺す」とは簡単に言えなかったと思います。

そうしたときに、頼朝の妻・北条政子が妊娠したタイミングを見計らって、三浦義澄は、頼朝に祐親を許してくれるように依頼。頼朝も機嫌が良かったのでしょうか、祐親を許すことにするのです。

三浦義澄が、恩赦を祐親に伝えると、祐親は「御所に参上します」と答えたとのこと。義澄が御所で待っていると、家来の者が飛んで入ってきて、祐親が自殺したことを告げるのです。自殺の理由としては「頼朝から恩赦の言葉をいただいて、今までの所業の数々を恥じ入った」からと『吾妻鏡』(1182年2月14日条)には書いています。

▲『吾妻鏡』(吉川本)頼朝将軍記の首書 出典:ウィキメディア・コモンズ

祐親の自殺はほんの一瞬のことで、止める暇もなかったようです。  翌日、三浦義澄が祐親の死を頼朝に伝えると、頼朝はその死を悲しむとともに、潔さに感動したと言います。そして、祐親の子・祐清を呼んで「お前の罪も許そう。恩賞を与えよう」とまで言うのです。

ところが、祐清は「父は既に死にました。私にも死をお与えください」と頼朝に告げるのでした。頼朝は仕方なく、祐清を死刑にします。ドラマでは、祐親と祐清が同じ場所で、善児によって殺されていましたが、実はそうではなく、別々に死んでいるんですね。

脚本家の三谷幸喜さんは、祐親の死に何か不審なものを感じ、暗殺という展開にしたのでしょうが、事実は暗殺ではなく、自殺そして死刑ということです。

▲ イラスト:稲村毛玉

さて、ドラマでは多くの者を殺めてきた善児ですが、モデルがいると言われています。それが、北条義時に仕えた武士・金窪行親です。二代将軍となった源頼家の家臣が謀反を企てているとの情報が入ると、義時の命令を受けて、彼は、あっという間に、謀反人たちを殺してしまったと言います。

善児が人々を次々に殺していく手際に、少し似ているようにも感じますよね。そうしたところから、善児という架空の人物が生まれたのではないでしょうか。