皆さんは「親切の法則」というものを知っているでしょうか? 目に見えないこと……親切な気持ちや優しさは、誰かに与えれば与えるほど不思議と自分にも返ってくるのだというものです。しかし、このような価値観を育むべき場所が少なくなっていると、元外交官の馬渕睦夫氏は指摘しています。目に見えない価値と、それを教える大切さについて聞いてみました。

※本記事は、馬渕睦夫:著『道標(みちしるべ) -日本人として生きる-』(ワニブックス:刊)より一部を抜粋編集したものです。

 

与えれば与えるほど自分に返ってくる

馬渕 誰かに親切にしてあげれば、必ず誰かがあなたに親切にしてくれるのです、不思議と。もちろん、それは「これだけの親切をしてあげたから、これだけの見返りがある」なんて思ったら駄目ですよ。親切というのは、見返りを期待してやることじゃないですからね。

「無償の何々」という言い方もありますけど、見返りを期待しない行為をやると、いつか自分が助けられるのです。

だから、ハウツーものの本と宗教書のあいだぐらいの、生き方の本みたいなので、「与えれば与えるほど与えられる」というようなことを書いたものがあるでしょう? あれは陳腐なようですが、実際その通りなのです。

――何々の法則とか、引き寄せとかありますね。

馬渕 そういうのはね、言うなれば物理の法則とは逆なのです。物理の法則だと、相手に与えたら、こっちは減るわけだけど、与えれば与えるほど自分が豊かになる。そういうことがあるんです。実践してみたらわかりますよ。

そんなことあるはずがない、と言う人がほとんどだろうけど。で、愚直にやってみたら、その通りになったりしてね。結局、愚直な人が悟るというのは意外でもなくて、愚直に実践する人が悟りに達するというのは、その通りだと思います。

▲与えれば与えるほど自分に返ってくる イメージ:Taka / PIXTA

――目に見えない行いが波及していくというのは、科学では計れないわけですね。

馬渕 理科で習うエネルギーの法則などは唯物論に基づいているから、エネルギーは出したら出しただけ減るという考え方なのです。

僕が言っているのは、我々が“善なるもの”を実践したときの法則では、出せば出すほど戻ってきて、得ることになるということなのです。

世の中は「物理の法則」と「目に見えない法則」が共存していて、これが偏ってしまっては駄目で、やっぱりバランスが大事なのです。お金も同じ。誰かにあげたら、そのときは自分のお金が減るけど、あとになってもっと大きいお金を誰かがくれるかもしれないでしょう?(笑)。

けれども、自分がお金をもらうために、人にお金をあげるのは間違っていますよ。説話とか民話によくあるじゃないですか。困っている人にお金をあげたら、あとでもっと多額のお金が返ってきたというようなお話が。

宗教でも、貧しい人が寄進したお金は、金持ちがたくさん寄進したお金より尊いという話が出てきますね。仏教でもキリスト教でも。

――多くの人が気づくべきことですね。学校でもそういう話を教えてくれるといいですね。

馬渕 昔は教えていたと思いますよ。「修身」の時間とかにね。現在の道徳の教科書を全部読んだわけじゃないし、どんな道徳を教えているかも知らないけれど、今は唯物論に基づいたものしか教えていないのではないでしょうか。

第一、そんな目に見えない価値を教える教科書があっても、若い先生は教えられないとも思いますしね。

子どもは家族の振る舞いから学んでいる

馬渕 こういうことは学校ではなく、「家」で教えるべきなのです。昔は家で教えて、そのうえで「修身」として学校で習ったのです。

数学とかの科目でない限り、子どもは家で両親なり祖父母から習ったほうが頭に入ります。子どもと一番多く接しているのは家族だから。その人の生き方もね、家族なり親の生き方が、子どもに反映される可能性は高いですよ。

――日常の生活で、親や祖父母の振る舞いから学ぶというのは、「こうしなさい」って口で教えるだけじゃなく、親の姿を見て「あっ、こうするんだな」と知る感じでしょうか。

馬渕 そうそう。昔は全部そうやっていたのですよ。言葉を覚えるのもね。まずは親が話しかけるのを聞いて、周囲の人がいろいろ話しているのを聞いて、そうして覚えるわけですよね。それは、我々の振る舞いとか道徳とかも同じことなので、周りの人がどうやっているかとか、言葉で教えられることも含めて、振る舞いを見て覚えていくわけなのでね。

大人は、そういう意味では学校の先生じゃなくても、教育者なのです。

▲子どもは家族の振る舞いから学んでいる イメージ:プラナ / PIXTA

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