西洋絵画の歴史を彩る珠玉の名画が一挙来日中の「メトロポリタン美術館展 西洋絵画の500年」(東京・国立新美術館で2022年5月30日まで開催中)。アート漫画の金字塔『ギャラリーフェイク』(細野不二彦)の主人公・藤田は、元メトロポリタン美術館の凄腕キュレーターにして、贋作専門画廊「ギャラリーフェイク」の店主ですが、今回の美術館展は、西洋絵画の巨匠たちによる、紛うことなき“本物の傑作”が一堂に会する、またとない機会です。

本展出品作のなかから、日本初公開となる『音楽家たち』を描いたミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジョが辿った数奇な運命について、大人気webラジオ「そんない美術の時間」アートテラー・らちまゆみ氏に解説してもらいました。

本記事は、らちまゆみ:著『人柄がわかるエピソードで楽しく読める! 大人の雑学 西洋画家辞典』(ワニブックス:刊)より一部を抜粋編集したものです。

暴力に殺人…知られざる天才画家の私生活

芸術家には、しばしばその独特な感性や、あふれ出す才能の代償のごとく、生涯を通じて孤独に徹したり、一風変わった私生活を送るような人たちが存在します。

しかし、そんな芸術家たちのなかで、もっとも数奇で破天荒な芸術家をあげるとすれば、ミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジョかもしれません。

▲イラスト:らちまゆみ

とにかく我が強く、性格に難あり……。すぐに暴力沙汰を起こし、何度も警察の世話になり、ついには殺人まで犯してしまう。しかし、そんな私生活とは裏腹に、鮮烈な光の明暗とドラマティックな構図で、映画のように劇的なシーンを描いた作品は、まさに天才画家と呼ぶにふさわしい、多くの人を魅了するものでした。

このカラヴァッジョのドラマティックな作風は、のちに劇的かつ大胆、人の心に訴えかけるような、新しい「バロック」と呼ばれる絵画様式を生み出すこととなります。そんなバロックの先駆者であったカラヴァッジョについて、ご紹介しましょう。

13歳でミラノの画家に弟子入り、21歳で芸術の都・ローマへと向かったカラヴァッジョは、さまざまな富裕層にコネクションを持つ心強いパトロン、フランチェスコ・デル・モンテ枢機卿と出会い、順調なキャリアをスタートさせます。そして、枢機卿の注文を受け、『バッコス』『リュート弾き』など複数の作品を制作します。

カラヴァッジョの活躍は、それだけではありません。枢機卿の紹介でサン・ルイジ・デイ・フランチェージ教会の連作『聖マタイ伝』を手がけると、それをきっかけに、教会や礼拝堂などの公的な場に飾られる絵画作品を多く手がけるようになります。

▲『ダヴィデとゴリアテ』 出典:ウィキメディア・コモンズ

トラブルから死刑宣告…そして逃亡へ

出世街道まっしぐらのカラヴァッジョでしたが、その性格が災いし、なんと11回も警察の世話になったのだとか……。では、そんな厄介者のカラヴァッジョの作品が、なぜ人々に受けたのでしょうか。

じつは当時、宗教改革の影響によって、美術様式も変わりつつあったのです。それまでの優美でしなやかな曲線ではなく、カラヴァッジョの描くドラマティックで力強い描写は、民衆の感情を揺さぶるとして、信者を増やそうとするカトリックにとっては好都合だったのです。いくら「描きなおせ」と頼まれても描きなおさず、作品を突き返したほどの“我の強さ”が、その画風にも表れていたのですね。

しかし、お金がらみのトラブルで、ついに人を殺めてしまったカラヴァッジョは、死刑判決を受けて逃亡。ローマから離れ、マルタ島やシチリア島に向かいます。しかしながら、逃亡先でも複数の作品を制作していたようです。

マルタ島では騎士団への加入を懇願するも、やはり揉めごとを起こして資格を剝奪されたり、捕まっても脱獄をしたりするなど、なかなか巧みに生き残っていきます。

ところが、ついにローマへ戻ろうとナポリで船を待っていた際に、なんと、ほかの罪人と間違えられて捕まってしまいます。過去に殺人を犯したとはいえ、それはローマでのことであり、ナポリでは何もしていません。しかし、時すでに遅し。ようやく釈放されたときには、船は出港したあとだったのです……。

カラヴァッジョは、小舟でその船を追いかけました。しかし、追いかけても追いかけても、船に追いつくことはありませんでした。

そして、炎天下のなか、カラヴァッジョはとうとうローマにたどり着くことのないまま、その短い生涯を終えることとなります。

奇しくも、彼が小説のような最期を遂げた1610年頃、カラヴァッジョの名は、ヨーロッパ中に知れ渡り、もっとも影響力のある画家として、多くの人に称賛されるようになっていました。なんとも皮肉な話ですよね。

カラヴァッジョの本名は、ミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジョ。ちょうど、彼の誕生日が大天使ミカエルの祝祭日だったので、ミケランジェロと名づけられたそうです。

天使か、それとも悪魔か。その数奇な運命と、観る者の心を高揚させる作品の数々は、今なお蠱惑的な光と闇を放ちつつ、私たちを魅了し続けています。

▲『キリストの埋葬』 出典:ウィキメディア・コモンズ