メジャーリーグで2年連続MVPの期待がかかるエンゼルス・大谷翔平選手。日本国内はもちろん、アメリカでも人気の高い選手であるが、野球の技術だけでなく「人間性」も素晴らしいからメジャーでも人気があるのだろうと、元プロ野球審判の佐々木昌信氏は話します。審判の目線から見た日本人メジャーリーガーは、どんな姿だったのでしょうか。
※本記事は、佐々木昌信:著『プロ野球 元審判は知っている』(ワニブックス:刊)より一部を抜粋編集したものです。
審判の体調にも気を使ってくれた大谷翔平
私は四十肩で、ファウルボールのあと、ボールをもうピッチャーに投げ返せなかった。そういうのをうっとうしがるピッチャーは多いです。
だから、なるべくキャッチャーに渡していたんですが、どうしても1度投げなくてはいけない場面になったとき、大谷翔平選手は察してくれたんでしょう。
イニング交代のとき、すかさず僕のところに全速力で走ってきました。
「佐々木さん、肩、痛いでしょうから、ボールを取りにきました」
審判生活29年、そういう気遣いをしてくれたピッチャーは大谷選手だけでした。
どの選手にしても、第1打席に球審に「こんにちは」とか「お願いします」と入ってきますが、大谷翔平選手と松井秀喜選手の2人だけは、必ず「〇〇審判、こんにちは」って苗字を付けてくれます。人間性でしょうね。
試合が終わると「お疲れさまでした」「ありがとうございました」。審判にゴマをするというのではなく、そういうコミュニケーションが自然体でできる。そういうのが伝わるからメジャーでも人気が出るのでしょう。
日本人審判が見た日本人メジャーリーガー
現在はルール改正されているので、そんなことはないのですが、メジャーではゲッツーのときに「ピボットマン」(ゲッツー時に一塁へ送球する選手)に対するランナーの当たりが強いんです。
だから、西武からメジャーへ行った松井稼頭央選手、ヤクルトからの岩村明憲選手、ロッテから行った西岡剛選手。ケガを恐れて自分のプレースタイルを貫けないので、みんな不完全燃焼で帰国しました。岩村選手は「当たりの強さが半端じゃない」と嘆いていました。
いずれにせよ、日本人内野手のメジャーでの成功は、なかなか難しいと感じました。
イチロー選手は、10年連続200安打、ゴールドグラブ賞10度。活躍に関して、いまさら言うまでもありません。
2021年、大谷翔平選手が46本塁打、100打点をマークして脚光を浴びましたが、その前の日本人メジャー100打点は松井秀喜選手が4度もやっているんですね。
大谷選手がメジャー1年目に22本塁打したとき、イチロー選手は「初めて日本人ホームランバッターが来た」旨のことを言っていました。松井秀喜選手は、当時のヤンキースにおいてフォア・ザ・チームに徹する意味で、ホームランに固執せず打点での貢献を選択したのだと思います。
メジャーのピッチャーはパワーピッチャーで、日本みたいにコントロール重視ではない。力で押して、しかもボールが微妙に動く。慣れる前にマイナーリーグに落とされてしまう。西武から行った秋山翔吾選手など、その典型で苦労していたので気の毒だと思いました。
私がメジャーで一番見たかった日本人選手は、日本ハム時代の糸井嘉男外野手でした。パワー・強肩。走力、メジャーで必ず通用したと思います。ヒザを故障して断念したのでしょうが、残念でなりません。
ピッチャーでは、近鉄の野茂英雄投手、巨人の上原浩治投手、楽天の田中将大投手が、フォークボールなりスプリットフィンガードファストボールを駆使して活躍しました。その3人はストレートも素晴らしかったですが、逆に言えば、ある程度フォークボールを使えれば、メジャーで活躍できるかもしれません。
ヤクルトにいた吉井理人投手。近鉄時代から同僚の野茂投手直伝のフォークボールを持っていましたが、やはりメジャー5年で32勝をマークしました。
横浜にいた斎藤隆投手は、36歳でメジャーにわたり24セーブ、翌07年は実に39セーブ。その年齢なのに、アメリカのウエイトトレーニングの成果なのか、球速が日本時代より速い155キロ以上出るようになっていました。武器はスライダーでした。
日本球界では「困るとアウトロー」でホームランを防ぎますが、メジャーの選手は腕が長くて手が届くので、アウトローでもホームランを打たれてしまいます。そこが日米の野球の違いですね。