“器用貧乏”な選手になろうと思った理由

2021年、愛媛FCから契約満了を告げられ、ふと考えた。

「来年は挑戦の年になるな」と。

移籍先が見つかれば、新天地でのスタートになる。

どのチームからも声がかからず、現役を引退することになったとしたら、セカンドキャリアがスタートする。

いずれにしても、新しい環境に身を置くことは決まっていたが、結果的に自分が望んでいた方向でのチャレンジとなった。

移籍は過去に何回経験しても、そして何歳になっても不安が先に立つもの。「自分はチームに馴染めるのか」と後ろ向きに考えてしまう瞬間がある。

とはいえ、若い頃と比べれば、地に足をつけて毎日を過ごせている自負がある。新たな環境でサッカーができる喜びを噛みしめながら、確実に一歩ずつ進んでいる感じだ。

これが20代での移籍であれば、自分のパフォーマンスを認めてもらうために躍起になったのかもしれない。一心不乱にストロングポイントを見せることで、抱えている不安を打ち消してラクになりたいと思うのだろう。

でも、今は違う。

監督にとって使い勝手の良い選手でいれば、それがチームの助けになる場合だってある。ポジションも中盤から前であればどこでもできる自信があるし、少なくとも純然たるセンターFW以外は、過去にプレーした経験がある。

何か突出した武器を持っている選手は素晴らしいが、それだけで試合に勝てるわけではない。チームに30人前後の選手がいるとしたら、すべてにおいて“そこそこの能力”を持ち、なんでもそつなくこなす選手が必要な局面が訪れるかもしれない。

いわゆる“器用貧乏”でもいいと思っている。

ネガティブなシーンで使われることが多い四字熟語だけど、自分の現在地と照らし合わせて考えたとき、むしろ言い得て妙だ(笑)。

その時々の状況によって、異なるポジションや役割をこなし、チームにプラスαをもたらす存在になりたい。

振り返ると、ルーキーイヤーも監督にとって使い勝手の良い選手を目指していた。キャリアの晩年に差し掛かったプロ23年目に原点回帰するのだから、つくづくサッカーはおもしろい。

必要とされるのならば喜んで七変化する。それが40歳になった僕の生きる道だ。

▲“器用貧乏”な選手になろうと思った 写真:アフロ