2022シーズンもゴールを挙げ、Jリーグ23年連続ゴールの記録を更新中の山瀬功治選手。40歳となる現在もレノファ山口FCで活躍している。生涯サッカーをすると言い切るが、12歳で海を渡りブラジルへのサッカー留学、帰国してからのスランプ、北海高校での教えなど、原点ともいえる10代の頃を振り返ってもらった。
※本記事は、山瀬功治:著『ゴールへの道は自分自身で切り拓くものだ』(ワニブックス:刊)より一部を抜粋編集したものです。
12歳で決断したブラジル留学
小学校を卒業してすぐに、12歳で地球の裏側へ旅立った。このブラジル留学が僕の生き方の原点といっても過言ではない。当時通っていた、SSS(札幌サッカースクール)の校長だった柴田先生は、チームの運営とは別にブラジルへのサッカー留学を支援する団体にも関わりがあった。そこでは日本中から年齢問わず留学希望者を募り、現地の指導者のもとでサッカー漬けの毎日を送れるようなシステムが構築されていた。
先生から「技術をレベルアップさせるなら、早い段階でサッカーの本場で学ぶべき」という助言を受け、僕はその2期生として20人弱のメンバーとともにサッカー王国へ移り住んだ。
ブラジル留学をきっかけに大成した選手といえば、真っ先にカズさん(三浦知良/現・鈴鹿ポイントゲッターズ)の名前が思い浮かぶ。静岡学園高校を中退し、単身でサッカー王国へ渡る決断をした背景には強い意志があったはず。それこそ僕の世代の選手は、多くの人間がカズさんのプレーに憧れてプロを目指したと思う。
留学の話が山瀬家で議題に上がると、僕は迷うことなく「行きたい」と親に訴えた。
今だから正直にいうと、海外留学がどれだけ大ごとか、まったくわかっていなかった。ブラジルは地球の裏側にあるという程度の知識はあったが、どれくらい離れているか想像したこともない。飛行機を乗り継いで何十時間もかかるなんて夢にも思わなかった。感覚的には、全国大会に出場するために東京へ行ったときと同じくらいの気分でしかなかったはずだ(苦笑)。
もし自分にもうちょっとでも知識があったとしたら、どうだっただろう。もしかしたら躊躇して、二の足を踏んでいたかもしれない。
そうやって考えると、知らないことは必ずしもマイナスではないのかな、と。知識があり過ぎると必要以上に考えてしまい、逆に行動できなくなってしまうからだ。何も知らないがゆえに、枠にとらわれることなく異世界へ飛び込んでいけたのだと思う。
決断を迷わなかった理由で、思い当たる節がもうひとつあるとすれば、その時代のサッカー少年なら誰もが知っている、『キャプテン翼』のエピソードに感化されていたからだろう。
主人公の大空翼は、小学生で全国制覇を成し遂げ、師と仰ぐ元ブラジル代表のロベルト本郷とともに海を渡る――はずだった。詳細は割愛させてもらうけど、結局このタイミングでは大空翼の願いは叶わない。そして3年後の中学校卒業後にブラジルへ行く、というストーリーだ。
大空翼ができなかった小学校卒業後のブラジル留学を自分がやる。漫画の世界の人物とはいえ、憧れの存在を超えるシチュエーションに、子供心ながら優越感に浸っていたのは間違いない(苦笑)。
こうして海を渡り、約2年半をブラジルで過ごした。