Jリーグ23年連続ゴールを決めている山瀬功治が所属しているレノファ山口FCは、現在J2リーグで18位と苦戦。そんな状況を打破したいチームは、今週土曜日9月10日に第35節でFC町田ゼルビアと対戦する。

北海高校を卒業して、コンサドーレ札幌に入団した山瀬功治。プロ3年目のときには、札幌での活躍が評価され、浦和レッズからオファーを受ける。しかし、そのとき山瀬は長期離脱を余儀なくされる大怪我を負っていた……、浦和レッズへの移籍を決断したときの心境を語ります。

※本記事は、山瀬功治:著『ゴールへの道は自分自身で切り拓くものだ』(ワニブックス:刊)より一部を抜粋編集したものです。

リーグ戦デビューでプロ初ゴールを決める

2000年、開幕からの7試合で5勝1分1敗という好成績を収めていたコンサドーレ札幌は、8試合目でようやく札幌での凱旋試合を迎える。

リーグ戦が開幕する3月は、降雪の影響でホーム開催が難しい。室蘭や函館での試合開催はあったが、本当の意味で地元に戻ってくるのは、開幕から2ヵ月が経とうとする5月4日まで待たなければならなかった。

自分はというと、4月19日に行われたヤマザキナビスコカップ(現在のJリーグYBCルヴァンカップ)・ガンバ大阪戦で念願のプロデビューを飾っていた。カップ戦での途中出場とはいえ、プロとしての第一歩を踏み出せたことに少なからず手応えを感じていたのも事実だ。

そういったステップを経て、さらに凱旋試合ということで札幌出身選手が話題になると見越していたからなのか、初めてリーグ戦のメンバー16人(※J2リーグは2010年から18人に拡張された)に名を連ねた。

▲会場となった厚別公園競技場 出典:あーりー/PIXTA

会場の厚別公園競技場は超満員に膨れ上がっていた。カップ戦とは盛り上がり方や雰囲気が違うことはすぐに察知できた。必死に平静を装うようにしていたけれど、緊張を隠せていた自信は、あまりない。

後半25分、岡田武史監督に名前を呼ばれ、ピッチへ。

緊張と不安で精神的な余裕などあるはずもないのだが、意外にも落ち着いてプレーすることができていたと思う。

そして1─1のまま突入した延長前半7分だった。

左サイドからゴール前に上がってきたセンタリングに対して、点取り屋のエメルソンが突進する。相手DFと、もつれ合うようにゴールを狙ったが、惜しくも合わせられない。

すると、ルーズボールが目の前に落ちてきた。ゴールまで約5メートル。無我夢中で頭から飛び込むと、お世辞にもミートしたとはいえない軌道のボールが、ゴールへ吸い込まれていく。

カッコ良くなかったかもしれないけれど、僕にとっては生涯忘れることのないプロ初ゴールだ。

Vゴール勝ちという劇的な幕切れに、スタジアムに詰めかけたファンやサポーターの興奮は最高潮。僕自身、気が付いたら岡田監督に向かって全力疾走していた。

先輩方から受ける手荒い祝福。ようやく本当の意味でチームの一員になれたという実感が湧き、それがうれしかった。同時に、プロの世界で生きていくための自信を得られたのは言うまでもない。

プロ1年目はリーグ戦14試合2得点という個人成績が残っている。先発出場はわずか3試合なので、もちろん大満足ではない。

それでも、組織における歯車のひとつになることは常に意識していた。出番がやってくるときは、途中出場や誰かの代役という状況が多かったので、自己主張よりもチームの流れを止めないことが重要になる。

チーム状況やスコアを踏まえて、与えられたポジションは、どこで役割は何をすべきなのか。それと自らのプレースタイルや特徴を照らし合わせ、何ができるのか。置かれている立場を自分なりに汲み取り、思考を止めなかった。

それが、ルーキーイヤーから多少なりとも試合に出場させてもらえた要因ではないだろうか。