2022年シーズンから、J2のレノファ山口FCに移籍した山瀬功治。新たな環境に身を置く不安もありながら、自分の実力をアピールするために過度に躍起になることはないという。「プロ23年目にして原点回帰」と語る山瀬のスタイルは、チームにどんな結果をもたらしてくれるだろうか。

※本記事は、山瀬功治:著『ゴールへの道は自分自身で切り拓くものだ』(ワニブックス:刊)より一部を抜粋編集したものです。

レノファ山口FCへの移籍は厄払いをしたおかげ?

1981年生まれは、今年(2022年)が本厄にあたる。

若い頃から、季節の行事や縁起ごとは積極的に取り入れるようにしてきたので、1月1日の初詣とは別に、1月3日に三津厳島神社で厄払いをしてもらった。

その後、妻とふたりで近くの飲食店へ。お正月の祝い酒を飲みながらひと息ついていると、代理人から携帯電話にメッセージが届いた。

『レノファ山口FCが興味を持ってくれています』

文面を見て、びっくりという感想以外になかった。

アビスパ福岡や愛媛FCへ加入する際には、移籍先が決まらないまま年を越し、愛媛は2月に入ってからのオファーだった。それから3年が経ち、3つ年齢を重ねて40歳になった。前回と似たような長期戦になることも覚悟していたし、それでもチームが見つからない場合も、心のどこかで想定していた。

良い意味で予想を裏切る展開に、妻とふたりで「厄払いをしたおかげかな」と笑い合った。

翌々日の1月5日に正式オファーの連絡をもらい、翌6日に石原正康ゼネラルマネージャーと名塚善寛監督とオンラインで面談する運びに。

画面越しとはいえ、「チームのために、ぜひ力を貸してほしい」と伝えられたときは鳥肌が立った。

返事はもちろん「よろしくお願いします」だ。

そうと決まれば、次への展開は恐ろしいほどに早い。

8日のチーム始動日から合流するため、7日の昼過ぎに愛媛の自宅を慌ただしく出発。車を運転して瀬戸内海を渡り、夕食や休憩を挟みながら約6時間かけて本州最西端の地である山口県に到着した。

▲レノファ山口のホーム・維新みらいふスタジアム 写真:takashi355 / PIXTA

新しい所属クラブが見つかったとしても、カテゴリーを維持するのは難しいのではないかと思っていた。J3やJFL、あるいは地域リーグのクラブも想定していたなかで、2022年もJ2というステージで戦えるのは幸せと言うほかない。

監督の名塚さんは、僕が札幌にいた1~2年目のチームメイトだった。

ナツさんは2001年に現役を引退し、指導者の道へ進んだ。サッカー界は狭いので試合会場で顔を合わせたときは、あいさつをさせてもらっていたけれど、まさかこういった形で一緒に仕事をすることになるとは……。

プロサッカー選手という仕事は、間違いなく実力社会なのだが、人と人のつながりも大きな意味を持つ。ナツさんは僕の人間性や性格も理解しているだろう。そのうえで獲得してくれたのだから、自分は今まで通りのスタンスやスタイルを貫き、そして結果を出すことで期待に応えたい。