エル上田とデロリアン林からなる、お笑いコンビがエル・カブキ。若手では珍しく時事ネタを主とする漫才スタイルで、さまざまな賞レースで爪痕を残している。最近では、上田がラッパーのダースレイダーや、ノンフィクション作家の田崎健太のトークライブに出演するなど、活動の幅を広げている。

しかし昨年、10年近く在籍していたマセキ芸能社を退社。『M-1グランプリ2021』で、まさかの1回戦敗退がその理由としてあるのではと、お笑い好きのあいだでは囁かれた。それでも現在、ほぼ毎日、時事を語るネタ動画をYouTubeにアップ、6月24日には毎年恒例となっている、上半期を振り返るライブの開催が決まっている。

二人のうち、格闘技好きなエル上田に、これまでの芸人経歴、事務所退社の心境、そして単独公演の意気込みを聞いた。

▲エル上田(エル・カブキ)

同期で一番出世が早かった…からの吉本離脱

――上田さんがお笑い芸人になろうと思ったきっかけを教えてください。

エル上田(以下、上田) 中学の頃、テレビで爆笑問題さんの漫才を見て、身体に電流が走ったような衝撃を受けて、そこからですね。あの衝撃は後にも先にも、あの時だけです。あ、人生で初めてプロレスを生で見たのが、大仁田厚の電流爆破マッチだったので、“身体に電流が走った”で言えば、それを含めて2回です(笑)。

――エル上田という名前からはもちろん、ネタを見てもプロレス好きというのが伝わってくるのですが、好きになったのはお笑いよりプロレスが先ですか?

上田 ほぼ同じくらい、というか、気づいたときには、どちらも家のテレビで流れてました。だから、爆笑問題さんでお笑いを知ったわけじゃなくて、小学校の頃からお笑いは好きだったし、特に『ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!』と『鶴瓶・上岡パペポTV』が好きでした。

――どちらもフリートークが企画のメインでしたよね。

上田 当時は、そこまで分析してなかったと思いますけど(笑)。そのあと、爆笑問題さんが標準語で漫才をやってるのを見て、すごく面白いし、もしかしてこれだったら俺でも勉強すれば近づけるかもって、おこがましくも思ったのが直接のきっかけですね。

――そこから一度、吉本興業の養成所、NSCに入られたんですよね。

上田 先に地元の友達が3人入ってて、「早くお前も来いよ!」って言われたので、お金を貯めて入学したんです。けど、厳密に言うと、俺の行ってた頃は途中入学が認められてて入学金授業料の40万も半分でいい、みたいな触れ込みで。俺もそう聞いてたんですけど、たしか満額取られてるんですよね。

――え、そうなんですか(笑)?

上田 NSCも今みたいにしっかりしてなくて、全体的に緩かったんです、俺もダンスとか意味のない授業はサボってたし(笑)、卒業公演も出てないですね。NSCで言うとジョイマンとかと同じ8期になります。当時、小山田満月さんという講師の方がいたんですけど、東京五輪の小山田圭吾問題のとき、自分たちの配信で、ずっと小山田問題って言って小山田満月さんのことを話す、ってボケをやってたんです。そしたら、視聴者の方が“小山田満月さん、数年前に亡くなってます”ってコメントくれて、結果、俺たちが一番不謹慎でした(笑)。

――(笑)。NSCを卒業されてからは、吉本で芸人をやってたんですか?

上田 コンビは小中高の同級生と組んでたんですけど、その期の芸人が300~400人くらいはいたと思うんですが、卒業公演も出てないのに、その中から何組かしかいない、一番上のルミネ(ルミネtheよしもと)スタートになったんです。

――すごい! 超エリートですね。

上田 ただ、ウケるネタがその1本しかなくて、すぐにドンドン落ちていって(笑)。上のランクに上がるとか、下のランクに下がるとかは、当時スタッフが決めてたんですよね。たぶん生意気だったから、それも大いに関係あったかもしれない(笑)。

――なるほど(笑)。

上田 忘れられないのは、当時売り出し中の人気コンビがいて、そのコンビの前の出番が俺たちだったんです。俺らのネタは、そこそこウケたんですけど受からなくて、次の出番の売り出し中のコンビがウケてないのに受かった。そしたら、MCをやってたダイノジの大谷さんが、俺らとなんの面識もないのに、スタッフの審査員に「おかしいじゃねえか!」って噛みついてくれたんです、それはいつかお会いしたら感謝したいですね。で、吉本にいても全然うまくいかないな、と思って、相方と夜逃げ同然で飛び出したんです。

出会い系で相方探し!?

――そこからマセキに入られるんですか?

上田 いえ、いろいろな事務所のネタ見せに行ったんですけど、当時できたばかりのSMAがあって、履歴書を書いたらすぐ受かったんで、“誰でも入れるって本当だったんだ”って思いました(笑)。そこで3年半は頑張ったんですけど、最後、NHKの『爆笑オンエアバトル』に出て、100キロバトルぐらいで惨敗して、その後解散して。

――原因はなんだったんですか?

上田 自分から解散したいって切り出しました。当時の自分は、いま振り返ると本当に酷かったですね。相方をどう自分の思うままにコントロールするか、ってことしか考えてなかった。これは正直、ずっと償っていかないといけない罪だって、自分の中では思ってます。

――上田さんを擁護するわけじゃないですけど、その頃は相方を操縦しているほうが天才っぽくてすごい、みたいな風潮があったし、そういう若手が多かった気がします。

上田 やっぱり、一番最初にルミネスタートになったのがいけなかったんですよね。在学中は存在すら認識してもらってなかった自分たちが、ルミネスタートになっただけで同期の見る目が変わった。お笑いって面白ければそれでいいんだって、尖りに尖りまくってたと思います。

――相方であるデロリアン林さんとは、どういうきっかけで知り合ったんですか?

上田 そこから、出会い系の掲示板で相方探しをして、2週間で8人くらいと会ったんですけど、全員しっくりいかないんです。正直、次のコンビがダメだったら芸人を諦めようと思ってて。だから、妥協したくなかったんですよね。そこで、当時バイトしてたコンビニで一緒に働いてた人の紹介で、芸人やってるっていう林くんに会うんですけど、最初は“バイト先の同僚の紹介で会う人なんかダメだろ”って思ってたんですが、会っての第一印象、まず見た目が良い(笑)。

――(笑)。本当に出会い系みたいな話ですね。

上田 それと、よく喋るし、林くんはツービートさんとかB&Bさんとか、昔のネタを書き起こしてるような人だったんです。それで、持ってきてくれたネタも、ちゃんとネタ作りを理解している。でも、もう自分では作る体力がない、ネタ作りは任せたい、って言ってくれて。前のコンビが空中分解みたいな感じだったので、そこを任せてくれたのは、とても助かりましたね。