2027年の中国人民解放軍の建軍100周年を控え、これまでにない緊張感が走っている国際社会。特に危険の迫る隣国日本は、中国の表層を理解するだけでは正しい対中政策は行えない。長いあいだ中国に対して「関与政策」をとってきたアメリカは、トランプ大統領就任後からは政策をいきなり180度転換させ、徹底的に対抗する姿勢を示したが、その転換を支えた歴史学者の一人が、歴史家・戦略家で軍事史及び現代中国の専門家であるマイルズ・マオチュン・ユ教授です。
なぜ、アメリカの関与政策は行われてきたのだろうか。トランプ政権時にポンペオ国務長官のアドバイザーをしていたユ教授の「日中戦争」論を、アメリカのインテリジェンスヒストリー(情報史学)に詳しい山内智恵子氏が読み解いていきます。
中国に“関与”したポスト冷戦期のアメリカ
アメリカ政治のダイナミズムを支えているのは、歴史的な背景、近現代史研究に裏打ちされた深い洞察です。百年単位の歴史を振り返りつつ、どうすればアメリカの国益を守ることができるのか、謙虚に歴史に学ぼうとするのです。
トランプ共和党政権の頃より、アメリカは対中政策を大きく変更しました。対中協調から対中強硬へと、対中政策を180度、変更したのです。50年近く続いた対中外交政策の大転換であり、これ自体が歴史的事件と呼ぶに値します。
第二次世界大戦後、アメリカは中国共産党政権と対立を続けていましたが、1972年にリチャード・ニクソン大統領が北京を訪問し、ほどなくアメリカは中国共産党政権、つまり中華人民共和国(以下、中国)との国交を樹立。以後、米中は共同でソ連に対抗するため、防衛協力体制を強化していきます。アメリカは、中国を「暗黙の同盟国」としてソ連との冷戦に勝利したわけです。
冷戦が終わってからも、アメリカは中国との関係維持と拡大を進め続けました。ポスト冷戦期のアメリカの対中政策を、一般に「関与政策」と呼びます。
関与政策とは、アメリカが対中貿易や投資を進めることで中国経済を強化し、それを通じて自由主義陣営主導の国際社会に取り込んでいこうというものです。
1989年に民主化を求めて北京の天安門広場に集まった学生たちを、軍隊が暴力で排除した六四天安門(ろくしてんあんもん)事件に対する経済制裁や、1996年の台湾海峡危機、1999年のNATO軍によるベオグラード中国大使館誤爆事件など、ポスト冷戦期に米中間の緊張がなかったわけではありません。
しかし、これらの事件によって一時的に米中関係が緊迫することはあっても、関与政策が根本的に揺らぐことはありませんでした。
天安門事件のような、ひどい人権弾圧があるにもかかわらず関与政策が続いたのは、「人権問題などで中国に厳しい態度でのぞめば、かえって中国を孤立させ、危険な行動に追いやることになる」という考えに基づいていました。
むしろ、中国に積極的に関与して中国の経済成長を助けながら、中国が国際社会に受け容れられるようにしていけば、国際社会を主導しているアメリカの価値観が徐々に中国に影響を与え、やがては国内体制が改革されて、法の支配と人権を尊重する平和的民主国家として発展していくだろうと、ポスト冷戦期の歴代のアメリカ政府は展望していたのです。
しかし、この展望は裏切られます。確かに中国は目覚ましい経済成長を遂げ、今やGDP世界第2位の大国となりましたが、人権弾圧はとまらず、議会政治は夢のまた夢、着々と軍事力を強化しつつ、軍事面だけでなく、外交・技術・通信・通商ルール・金融などの面でも、アメリカの覇権に挑戦するようになったのです。
こうした状況を受けて、ドナルド・トランプ政権(2017〜2021年)は前政権までの関与政策を撤回し、中国の脅威に対抗する政策へと大きく転換しました。