サンドウィッチマンの伊達みきおをはじめ、多くの芸人がその影響下にあることを語り、憧れの存在として名前をあげるのが、お笑いコンビ・東京ダイナマイト。そのツッコミ、ハチミツ二郎が初となる自伝『マイ・ウェイ ー東京ダイナマイト ハチミツ二郎自伝ー』(双葉社:刊)を発表した。

立川談志、ビートたけし、松本人志、太田光……偉大な先輩芸人との交流、そして2018年の急性肺炎による急性心不全、2020年の新型コロナウイルス感染と二度の生命の危機を軸に、事務所移籍やM-1、THE MANZAIなど賞レースへの想い、何より芸人としての生き方、家族との向き合い方などが描かれたこの作品は、お笑い芸人が書いた自伝史上、いちばん重厚で濃密であると言えるだろう。

本人が「遺書」と称する、この本を書くキッカケについてを皮切りに、芸人ハチミツ二郎の矜持を伺った。

この本は「自伝」じゃなくて「遺書」

――『マイ・ウェイ ー東京ダイナマイト ハチミツ二郎自伝ー 』。まさに自伝と呼ぶにふさわしい、二郎さんが心血を注いで書かれたのがよくわかる作品でした。

ハチミツ二郎(以下、ハチミツ) 自伝っていうのは編集者が勝手につけただけで、自分としては『遺書』のつもりで書いてたんです。

――自分の話で恐縮ですが、ずっと東京ダイナマイトさんのことが大好きで、当時ブログ全盛だった時代でも、大きなライブの前や旅に出たときしか書かれていなかったことも、10年以上前に『東京Walker』で「自伝的ど根性メルヘン劇場『キングライオン』」という連載をされていて、それをまとめていないのも知ってるんです。この本は、ノンフィクション作家の田崎健太さんが、二郎さんが書いた紙の束を今年の1月に受け取る「解説」から始まります。なぜこのタイミングで、こういう形で半生を振り返る本を出版されたのでしょうか?

ハチミツ 『キングライオン』は2歳からデビューするまでの話を書いたんですけど、東京Walkerで連載してたんで関東圏でしか読めなかったんですよね、大阪行ったら関西Walker、名古屋だったら東海Walkerだから載ってないし、あとあと本にもなってないから限られた人しか読んでない。で、今回のこの本の原稿は、実は2年7か月前に出来上がってたんですよ。

――え、そうだったんですか。

ハチミツ 2018年に心不全で死にかけたときのことを書こうと思って、でも担当者がほったらかしにしてたんです。で、途中から吉本があいだに入ったんですけど、そこでもうまく動かなくて、そしたらオレがコロナになっちゃって、そのことも追加で書かないといけなくなった。そこを書き上げても、担当者も吉本もフリーズしたままで、いろいろ状況が変わって最終章を書かないといけなくなった、という感じです。

――やはり、病気のことをきちんと伝えないと、という思いがあったのでしょうか。

ハチミツ はい。それもありましたし、明確に“死”を意識したときに、オフィス北野を辞めて、(ビート)たけしさんと東京ダイナマイトは共演NGだって、あることないこと、ていうか完全にないことが業界で回ってて。実際にディレクターさんとか作家さんから「共演NGだって聞いてる」と言われたこともあったし。そのとき、このまま死んだら本当それまでなんだなって気づいて。じゃあ、もしオレが死んでもオレの家族とか、相方の松田さんが生き続けるなら、本当のことを書いておこうと思って。

――なるほど。だから、あそこまで赤裸々に書かれたんですね。映画の『レスラー』とか、佐山サトルさんの『ケーフェイ』とか、そういう生々しさ、綺麗事だけじゃないリアルなことのカッコ良さが詰まった作品だな、と思いました。あと、たけしさんとのエピソード、ダウンタウンの松本さんとのエピソード、爆笑問題の太田さんとのエピソード、立川談志師匠とのエピソード、二郎さんの記憶力の良さにもびっくりしました。

ハチミツ サンドウィッチマンの伊達ちゃんからは、“二郎さんと談志師匠ってつながりがあったんですね”って言われました。伊達ちゃんくらい近しい人物でも、オレと談志師匠のエピソードは知らない。普段から特に周りに言うこともないですし。

――談志師匠が二郎さんを評した言葉は、この本で描かれている賞レースに挑み続ける東京ダイナマイトのお二人にも強く関わってきますよね。この本を読んで思い出したのは、M-1の予選でダイナマイトさんがネタを披露したら、ダイナマイトさんの空気になる、あの雰囲気です。

ハチミツ M-1が復活した2015年から敗者復活が視聴者投票になって、東京ダイナマイトが最後の5組に選ばれたんです。5位から1組ずつ名前が読み上げられるとき、いきなりオレらの名前が呼ばれたら、客席から「あー……」って声が上がって。そのとき、オレ自身も望んでたけど、東京ダイナマイトが勝ち上がって、サンドウィッチマンみたいに敗者復活から優勝する、そんなM-1を見たがっている人もいるんだって気づきました。まあ、その大会で優勝したのは、そのときの敗者復活で1位取った“ハゲラッチョ”のトレンディエンジェルだったけど(笑)。

――あははは(笑)。

ハチミツ でも、やっぱり復活してから、明らかにM-1自体が変わったなとは思ってて。オレらが決勝行ってたときは雰囲気が重い、楽屋にいても誰も喋んないし、あとスタジオも単純に明かりが暗いし(笑)。

――ダイナマイトさんが2009年にM-1の決勝に出たときのツカミ、あれは漫才の歴史の中でも指折りのツカミだと思ってて、固定観念の否定であり、くだらなさもあって。あれも最初に見たときは、出囃子が鳴って、歩きながら喋って出てきた松田さんに、二郎さんが「下手になったのか!?」ってツッコんでたと思うんですけど、決勝ではもっとわかりやすくなってましたよね。しっかりブラッシュアップされてるんだなって。

ハチミツ でも、やっぱりM-1は出順です。その2009年も出順が3番の時点で「ないな」と思いながらやってましたから。「もう来年だな」って。やっぱり1、2、3番手は厳しいなと思いますよ。