憧れのヤクザに一歩近づいた日
家のある方向へ向かってしばらく歩いていると、背後でクラクションの音がした。振り返ると見覚えのある赤いネオンが見えた。ネオンといっても夜の街のピカピカするアレじゃない。クライスラー社の黒歴史と言ってもいいほどまったく売れなかった不人気車であるクライスラー・ネオン、それはヒューイの愛車だ。
「やあ、トミー、どこへ行くんだい?」
運転席から上半身を突き出してヒューイが聞いてきた。
「どこって……家に帰るとこだけど」
そう答えるとヒューイは、いまから隣り町までコンピュータの部品を買いに行くから一緒に行かないかと誘ってきた。
答えはもちろん「イエス」だ。
ほんの100キロほど離れた隣り町のパソコンショップを何軒か見て回り、二人でハンバーガーショップで早めの夕食をとっているときだ。ふと店の窓の外に目をやると、通りの向こうにあった「TATTOO」のネオンサインが目に飛び込んできた。その瞬間、俺のケツから脳天にかけて電流が走った。
(これは天啓だ。神の思し召しに違いない……)
俺は急いで食いかけのハンバーガーをコーラで胃に流し込むと、席を立った。
「ヒューイ、行くぞ」
「どうしたんだよ、急に」
「タトゥーを入れるんだ! おまえも一緒に来いよ」
それから数分後、俺たちは向かいの建物にある古いバーの2階のタトゥーパーラーにいた。
「で、どんなデザインがいいんだ」
スキンヘッドで岩の塊みたいな大男が腕組みしたまま俺を睨みつけている。別に威嚇しているわけではないのだろうが、顔じゅう刺青だらけというより、刺青の中に目鼻口があるという感じだ。その刺青の間から覗く鋭い目に俺は完全にビビっていた。
「ええと……そうだな、どうしようかな……」
とまどう俺に、岩男がフンと鼻を鳴らして言った。
「なんだよ、決めてきてないのか」
これだからガキは嫌なんだ……。そんな彼の心の声が聞こえてきそうだった。
「いや、もうだいたいは決めてあるんです」
俺は急いでジーンズの後ろポケットから、さっきミスター・スズキからもらった紙を出して広げた。
奇妙奇天烈 摩訶不思議 奇想天外 四捨五入 出前迅速 落書無用
俺が手にした紙を覗き込んで岩男が言った。
「カンジ、か……」
「わかりますか」
「ああ、昔、オキナワのベースにいたからな。意味はわからないが、彫ることはできるぜ。フォントの見本帳もある」
「よかった!」
「それ、全部彫るのかい? けっこうなカネがかかるぜ」
「いや、全部ってわけじゃなくて……」
「早く決めてくんねえか。このあと、予約が入ってんだ」
イラついた岩男の口調に、俺は思わずメモに記された最後の四文字熟語「落書無用」を指差していた。
ミスター・スズキが日本人ウケすると言っていたし、ヤクザ映画のトップスターの一人、菅原文太主演の『トラック野郎』シリーズに出てくるトラックの車体に「ナントカ無用」〔編集部注:御意見無用〕と書かれていたのを覚えていたので、それを選んだのだ。
「よし、わかった」とうなずくと、岩男がヒューイに視線を移した。
「そっちの兄ちゃんはどうすんだ」
ヒューイが降参というように肩をすくめ両手を広げた。
「僕は付き添いというか見学なんで、けっこうです。いりません」
「そいつは困ったなあ」
岩男が露骨に顔をしかめ、指の骨をポキポキと鳴らして言った。
「うちは見学お断りなんだよ」
「ヒューイ、おまえもどれか彫ってもらえよ」
最初は嫌がっていたが、代金は俺が払うからと言うと、現金なもんでヤツは案外あっさりオッケーした。
俺は全部わかっているフリをしてヒューイに「出前迅速」の四文字を勧めた。なぜなら四つの漢字のだいたいの意味を知っていたので、それがどんな言葉なのかなんとなく想像できたからだ。
「ねえ、トミー、いったいこの漢字にはどんな意味があるんだい」
「ええと、そうだな『出』はスリップアウト、『前』はフロント、『迅速』はめちゃめちゃファストっていうことだよ。つまり、素早く群れから抜け出してその前に出るっていう意味さ」
それがでっち上げだということも知らず、ヒューイは気に入ったらしく、タトゥーを入れられている間も終始ご機嫌だった。
代金の500ドルを払い店を出ると、俺たちはTシャツをめくり上げ互いの背中にある入れたての刺青を何度も見せ合っては悦に入っていた。針を入れた部分はヒリヒリと痛んだが、それが大人になったことの証(あかし)だという気がしていた。
「落書無用」と「出前迅速」――。
それぞれたった四つの漢字からなる二つの刺青が、その後の俺たちの人生を大きく左右することになるのだが、そのときはまだ運命の女神しか知らないことだった。
俺自身のことはおいおい語っていくとして、まずはヒューイのそれからのことを話すとしよう。
俺たちの高校で抜群の成績を誇っていたヒューイは、卒業後、カリフォルニアにある全米屈指の名門、スタンフォード大学に進んだ。そこで彼は得意のコンピュータの分野で頭角を現しブイブイ言わせていたのだが、ある日、日本から来ていた留学生の前で自慢気にタトゥーを見せたところ、感心されるどころか大笑いされた。
「出前迅速」が日本のラーメン屋やそば屋でよく使われる標語であることを暴露されただけでなく、それ以来、「デリバリーマン」なるあだ名をつけられ、みじめな学生生活を送らざるを得なくなる。
もちろん途中で何度もタトゥーを消すことは考えたが、トミー、つまり俺との友情にヒビを入れることになるからと思いとどまり、ヤツはスタンフォードのデリバリーマンであり続けた。が、最後には背中に刻まれた「出前迅速」が思わぬ幸運という名の果実を、ヤツの人生にもたらすことになる。
大学卒業後、ヒューイはサンフランシスコに移住。そこでコンピュータ技術を活かし、インターネットを通して個人から注文を取り、専門の配達人に各料理店の料理を指定の場所へ届けさせるという、画期的な出前迅速システムを考え出し、ビジネスモデル化したのだ。
ここまで言えばあんたらもなんのことかわかるだろう、そう、彼こそがあの「〇ー〇ーイーツ」の生みの親なのである。ほとんど知られていない裏の史実だが、ここだけの話として、あんたらの心の中にとどめておいてほしい。