『ドラえもん』から選んだクールな四字熟語
日本行きを決意したその日から、俺は日本語とヤクザの勉強にいっそう邁進(まいしん)した。
映画だけでは読み書きの能力がつかないので、日本から取り寄せたヤクザもののコミックを何度も何度もくり返し読み込んだ。『静かなるドン』『サンクチュアリ』『ミナミの帝王』……名前を挙げていたらキリがなくなるが、いまでもたまに読み返すくらい俺の大好きな作品群となった。
学校の勉強もがんばった。なぜなら、日本の大学の留学試験を受けるためだ。観光ビザで入国してヤクザになるのって、なんか物見遊山みたいでカッコワルイと思ったからだ。留学生ならビザの期間もずっと長いので、現地でじっくり腰を据えて組選びや親分選びができる。
もちろんヤクザになることは伏せてだが、高校を卒業したら日本に留学するつもりだと言うと、ミスター・スズキは自分のことのように喜んでくれて、どんなことでも協力すると言ってくれた。なんならトーキョーに住んでいる彼の両親の家から学校に通えばいいとまで言ってくれ、さすがにそれは遠慮したものの、日本語の勉強ではずいぶん世話になった。
そうして高校卒業から約半年後、俺は無事、東京のとある大学に入学する権利を手にした。日本風に言えばいわゆるFランと呼ばれるレベルの、はっきり言って、受ければ誰でも入れる大学だったが、数学以外は最低の成績だった俺にしては上出来だ。
留学先の大学が決まり、日本に出発するまでの間に俺にはやるべきことがいくつかあった。
その一つがタトゥー、刺青(いれずみ)を入れることだ。日本に行って、ヤクザの組事務所のドアを叩くときに舐められないよう、ハクを付けておこうと考えたのだ。
俺としては、『昭和残侠伝』の高倉健のようなライオンとpeony(牡丹/ぼたん)の組み合わせの唐獅子(からじし)牡丹みたいなのがよかったのだが、アメリカの田舎でそんな複雑な絵柄を彫れる職人はいない。そこで俺は手始めとして、当時のアメリカでも人気があり、かつ失敗が少ないであろう漢字を入れることにした。
問題はどんな文字を入れるかだ。あまり文字数が少ないのも根性なしだと思われるし、たくさん書きすぎると耳なし芳一(有名な日本の怪談の主人公)みたいになってしまう。
日本の伝統的な格闘技である相撲のレスラーが、大関や横綱にレベルアップする儀式の際に四文字熟語で今後の抱負を述べるという話を聞いたことがあったので、俺もそれにならって四文字熟語を入れることにした。
あるとき俺はミスター・スズキに聞いてみた。もちろんタトゥーを入れることは内緒にしてだが。
日本でいちばん親しまれているクールな四文字熟語といえばどんなのがありますか、という俺の質問に、スズキさんは首をかしげた。
「どうしてそんなことを知りたいんだい?」
俺は、ガイジンが日本に行った際、たどたどしくても日本語をしゃべると歓迎されやすいという話を聞いた。だったら目の前で漢字を書いてみせたらもっとウケると思うからだと、とっさの思いつきでそのウソの理由を説明した。
「なるほどね」と言うと、彼はしばらく考えてから早口で一気に、
「キミョウキテレツ マカフシギ キソウテンガイ シシャゴニュウ……」
まるでなにかの呪文のようだった。
いくら俺が漢字に詳しくないといっても、さすがにそれが四文字熟語とは思えない。からかわないでくださいよ、と言った俺に彼は「からかってなんかないさ」と、そばにあった紙にすらすらとペンを走らせた。
奇妙奇天烈 摩訶不思議 奇想天外 四捨五入 出前迅速 落書無用
ピンと来る人にはピンと来たはずだ。
そう、初代ドラえもんのテーマソング『ぼくドラえもん』の歌詞の一部だ。だが、そのときの俺には知る由(よし)もない。
「これらはたぶん日本人なら小さな子どもから大人までたいていの者が知っている有名な6つの四文字熟語だ……いや、待てよ。奇妙奇天烈と摩訶不思議は5文字だけど、ま、いっか」と言ってミスター・スズキが俺を見た。
「僕としては、画数が少ない四捨五入か出前迅速がおすすめだな。落書無用はちょっと書くのが難しいけれど、これはこれでウケると思う」
とそのとき、ちょうどそこにヤスオを連れたミセス・スズキが買い物から帰ってきた。ミセス・スズキは夫と違って妙にカンが鋭いところがある。俺は企(たくら)みに気づかれると面倒だと思い、ミスター・スズキからその熟語が書かれた紙を受け取ると礼を述べ、用を思い出したので失礼しますと言ってそそくさと彼らの家をあとにした。