広がる芸人の輪
大手事務所オスカープロモーションの所属になった俺だったが、『爆笑レッドカーペット』などの人気番組に出て小さな結果は残したものの、呼ばれ続けるでもなく、仕事はたいして増えなかった。完全に俺の実力不足だ。
だが、当時の俺はというと、じつは浮かれていた。大手事務所に入ったことで、一流芸能人にでもなった気分だったのだ。
当時、オスカーはお笑い部門を立ち上げたばかりで、所属芸人といっても、俺よりテレビに出てるやつはいない。誰もが知る有名事務所のイチ推し芸人になれば、間違いなく売れるだろう。そんな淡い期待を胸に毎日を過ごしていた。
実際にドラマのちょい役や、イベントの司会など、それまでだったら入ってこないような仕事ももらえるようになっていた。
仕事の幅が広がると、交友関係も広がる。芸人仲間も増えていった。家が近所だったのでファミレスで一緒にネタ作りをした大輪教授というピン芸人。よく家飲みに誘ってくれた飛石連休の藤井ペイジさん。スギちゃん、キャプテン渡辺さん、ロビンフットのおぐさん、ぽんちゃま(当時チェリーボーイ)などなど、名前を挙げればキリがない。
そのなかでも、一番のライバルだと俺が思っていたのが、じゅんいちダビッドソンさんだった。仲は良かったし、芸風もどことなく似ていたから、どうしても意識してしまう間柄と言えばいいのだろうか。2014年にはR-1ぐらんぷり決勝に同時に行くことになる。ちなみに、スギちゃんとじゅんいちさんは俺の結婚の保証人でもある。
先輩では、ガンビーノ小林さんというピン芸人さんに可愛がってもらった。ガンビーノさんとは芸人の紹介で知り合ったのだが、周りの芸人が「兄貴」と呼んで慕っていたので、俺もそれにならって兄貴と呼んでいた。兄貴はビートたけしさんの付き人を10年以上やっていた。
兄貴は北海道出身で、暴走族の総長をやっていたという生粋の不良だったから、地元の先輩と似ているような親しみを覚えていた。それでいて芸人としても面白みがあって、フランクに付き合える関係だった。
そんなある日、兄貴からこんなメールが送られてきた。
「殿と飲んでるから高円寺に来いよ」