自分を生かせるネタはなんなのか
ライブ、ショーパブ、営業で芸を磨きながら、オーディションに受かったり落ちたり……30代はそんな日々を送っていた。
風呂なしアパートでの暮らしも、この頃になると全く苦ではなくなっていた。慣れてしまったのもあるが、通過点だと思えばなんてことない。売れたら一発逆転ですべてが変わる。若いうちに苦労をしたほうが、売れたあとも話題にことかかないだろう、そんな夢を見て毎日を過ごしていた。
その一方、キサラで切磋琢磨してい若手たちは着実に売れていった。ビューティーこくぶ、ダブルネーム、ミラクルひかるといったメンバーは、フジテレビのものまね特番のレギュラーになっていた。年に3回の特番かもしれないが、テレビの影響力は現在の比ではない。
テレビで露出するたび、営業は増えていく。ショッピングセンター、学園祭、地方のお祭り、企業のパーティー。仲が良かったヤツらがテレビで活躍する姿は頼もしかったが、ライバルたちはバイトをしなくていいほど稼ぐようになっていた。
一方、俺とオードリーの2人は相変わらずパッとしなかった。深夜番組には呼ばれても、売れるにはほど遠い状況だ。後に聞いたのだが、若林は売れないことが苦しくて、この世界を辞めようと思っていたらしい。
若林はオールナイトニッポンでこんな話をしている。
「売れたあとに高級料理をご馳走になるより、あの食えなかった時代に牛丼を奢ってくれた人のほうが記憶に残っている」
20代後半なんてまだまだこれからだ、と売れてないのにポジティブなことばかりいう俺が、少しは彼の励みになっていたのだろうか。
あの頃の俺は、来る日も来る日もネタ作りに励んでいた。
見た目がホストっぽいからホスト風コント。見た目が昭和のバブルっぽいからバブルテレフォンショッピングネタ。歌舞伎町のキャッチの兄ちゃん風コント……などなど自分に合ったキャラ設定のネタを考えていたが、あるとき気がついてしまった。これって俺じゃなくてもいいコントなんじゃないか。自分でなければ面白くできないネタはないのだろうか。そんなときに、ハッと思いついた!
「躰道だ!」
俺しかできないし、俺じゃないと面白くならない。なにより、他にやってる人がいない。躰道の型をやりながら、しょうもない日常のあるあるを言ったらどうだろう。
さっそく、ライブなどでこのネタをかけると、芸人仲間が「面白いね!」と声をかけてくれた。多くの芸人を育ててきたブッチャーブラザーズのぶっちゃあさんが「オモロいなぁ!」と言ってくれたのがうれしかった。