織田裕二モノマネで“人違い”?
『細かすぎて伝わらないモノマネ』で結果を残してからは、ライブやショーパブでは安定して笑いをとれるようになっていた。芸人はテッパンネタがあるとやはり強い。一人の営業も30分くらいなら余裕で盛り上げられるようになっていたし、ちょっとした深夜番組のオーディションにも受かるようになっていた。
フジテレビの『笑っていいとも!』のミニコーナーに受かったと、連絡が来たのもその頃だ。昔から見ていた『笑っていいとも!』に出れる。今後の履歴書に間違いなく書き込まれる1日になるはずだった。
当時、流行っていた『踊る大捜査線』の青島刑事のモノマネでの出演だった。時を同じくして山本高広さんという芸人が織田裕二さんのモノマネでブレイクしかけていたので、そのネタは一般的に広く知られていた。織田さんのモノマネは山本さんが有名にしたと言ってもいいだろう。スタッフはそれを知ってか知らずか、俺は織田裕二さんのモノマネを国民的番組で披露することになる。
アルタのスタジオ裏で待機する芸人たち。オープニングからアルタは大いに盛り上がっていた。俺のモノマネが電波に乗ったらまた大きな反響があるだろう。若手芸人がネタをやるミニコーナーの時間が待ち遠しいような怖いような。
司会のSMAP中居さんが説明をしてコーナーが始まる。芸人がネタを披露するたびアルタが沸く。さぁ俺の出番だ。
「続いては、踊る大捜査線の織田裕二さんです!」
スタジオが「ワー!」と沸いたのがわかった。今ならわかる。そう、アルタのお客さんも出演者も、織田裕二さんの「キターーー!」で話題の山本高広さんを期待しているのだ。
だが、踊る大捜査線の青島刑事の格好で袖から飛び出しできたのは、見たことも聞いたこともないTAIGAという芸人だ。スタジオ中がポカーンとしている。
「え? え?」「誰この人?」「あのキターーー!の人じゃないの?」
客の心の声が聞こえるようだ。だが、ネタをやり切るしかない。出鼻をくじかれた俺は、そのままネタを始めるが、さっきまでの盛り上がりが嘘のようにアルタが静まり返っている。やばい。冷や汗が背中を流れ落ちたのがわかった。
ネタが終わると、すかさずタモリさんが「最近出てるあの子じゃないんだね〜」なんてフォローを入れてくれたが、出演者一同が苦笑い。初めての『笑っていいとも!』はホロ苦い経験となった。ちなみに、その数年後にも再び呼んでもらったのだが、そのときも思い切りスベり、新宿アルタでの成績は2打数0安打。打席に立てただけで喜ぶには芸歴を重ねすぎていた。俺はもう32歳になっていた。