反成長を唱える人々は新自由主義に賛同する
一方で「反成長」とは、一国の経済が成長していくことはダメなのだという態度を意味します。「環境主義者」の多くが、この「反成長」を好みます。成長すれば環境が破壊されていくからです。「となりのトトロ」のような自然たっぷりの世界を守り続けるには、経済成長なんてしちゃだめだ、という発想です。
今、SDGs等のキーワードを使った環境主義が、(新しいタイプのマルクス主義、すなわちやはりここでも「サヨク」のイデオロギーとも関連しながら)軽いブームになっていますが、こうしたブームが、反成長の機運を高めているのです。
そして、こうした「反成長」の機運があれば、経済がどれだけ停滞しようが衰退しようが、それによってどれだけ民が苦しめられようが、「しょうがないですね」と、その停滞や衰退を是認することになります。
というよりもむしろ、衰退し、停滞していけば、日本人の環境負荷、環境破壊は縮小していきますから、諦めるというよりもむしろ積極的に「停滞しても衰退しても、いいじゃないか、大変結構なことですよ」とすら考えるに至ります。
誠に恐ろしいイデオロギーですが、反成長とはそういう代物なのです。
そして、財政政策に関して言うなら、積極財政の必要性を感ずることも無くなっていきます。成長するためには積極財政が必要なのですが、成長それ自身が必要ないなら、何も無理して政府が積極財政をする必要などなくなるからです。だから、反成長を好む人々は自ずと緊縮を好むようになります。
さらには、成長なんて要らないと思っているわけですから、政府に何かを求める気分も停滞します。かくして、反成長の人々は、結局は、新自由主義的な考え方にも賛同するようになっていきます。
もちろん、反成長イデオロギーの人々は、表面的には「新自由主義」的な政策に反発することが往々にしてあります。それは、自民党を中心とした与党政権は過去何十年ものあいだ、「政府の仕事を民間にさせる新自由主義政策は全て、成長のためなんですよ」という説明を繰り返しているからです。
したがって、反成長の人々は、そういう自民党的新自由主義説明に反発し、新自由主義を表面的に否定する場合があります。しかし、新自由主義は成長をもたらすのではなく衰退を導くもの。経済理論の視点からも、そして、過去20年の日本の過去の経験からもそれは明白です。
したがって、反成長イデオロギーの人々にとって、新自由主義は、表面的なホシュ政治家達の言説とは裏腹に、誠にもって都合のよいイデオロギーなわけです。
かくして、平和主義を信じ反成長を好む人々は自ずと、「政府なんて何もしなくてもいい」と考えると同時に、時により積極的に「何もしない方がいい」とすら考えるようになっていくのです。その結果、表面的な好みやイメージはさておき、反成長や平和主義を唱え続けていれば、そのうち必ず「緊縮」主義や「新自由」主義を支持するようになっていくわけです。
そうなれば、我が国の衰退、そして消滅は決定付けられることとなります。
この理由はすでにこれまでの議論からも明らかではありますが、簡潔に言うなら、政府には日本の国民、日本の国家のためにやらなければならない仕事が山のようにあるからです。
たとえば、後ほど詳しくお話ししますが、積極財政を通したデフレ脱却や、外国からの様々な侵略の防御などがなければ、我が国はその存続さえ危ぶまれる深刻な被害を受けることになります。にも拘わらず、それらの危機に対応するための政府の取り組みを全て停止させる緊縮や新自由主義を是としている限り、必然的に国家は弱体化し、滅び去る運命へとまっしぐらに進むようになるのです。
したがって、我が国が軽薄な平和主義を唱え、無配慮な反成長を好み続ける限り、日本国民に希望ある明るい未来など訪れ得ないのです。というよりむしろ、我が国が今、どんどん衰退し続けてきているのは、こうした平和主義と反成長が、戦後日本人の精神を支配し続けたことの必然的帰結なのです。