日本人の間で何となく共有されている「中国は日本より劣っている」「中国は途上国だ」という観念。しかし、近年では軍事的な脅威のみならず、日本が戦後から誇りにしてきた経済力でさえも中国に屈しようとしている。今一度しっかりと現在の中国の姿を捉え直して、迫りくる脅威について正しい認識を持つことが必要なのだ。
※本記事は、藤井聡:著『日本を喰う中国 -「蝕む国」から身を守るための抗中論-』(ワニブックス:刊)より一部を抜粋編集したものです。
「嫌中」の心理学的メカニズム
日中の経済力が逆転するまでは、日本人にとって中国は「かわいそうな後進国」に過ぎず、「憐れむ」ような対象に過ぎなかった。だから、どれだけ中国が日本のことを反日的に攻撃してこようとも、ウザったくはあるものの本格的な脅威の対象国ではなかった。日本は中国のことを、常に「上から目線」で眺めてきたのであり、かわいそうだとか何だとか言いながら、結局は心のどこかで「小馬鹿」にしてきたのである。
ところが、2000年代中盤になってくると、これまでとは様子が少々変わってくる。日本が圧倒的に自信を持っていた経済の分野で日本は成長できない一方で、中国はどんどん勢いよく成長していったのだ。結果、日本人はその潜在意識の中で「俺たちが上、中国は下」という優越感が揺らぎ始めるのである。
つまり、日本人は、中国に対する優越感を持っていたのに、中国の経済成長のせいでそれが失われてしまうことに不安を感じ、その不安を“手っ取り早く”解消するために相手の「あら探し」をはじめ、「やっぱり俺たち日本は中国より上なんだ」とお手軽に安心するということを始めてしまったのである。こうして、嫌中の思想、というより気分が生み出され、拡大していったのである。
一般にこうした心理的現象は「認知的不協和」と呼ばれるもので、誰の身にも起こりうる普遍的なものとして心理学では広く知られているものだ。そもそも今まで信じてきたこととは違う事実が生じた場合、人々はこれまでの信念とその事実認識との間にある種の違和感、すなわち「不協和」を感じ、その不協和を何とかして解消したいという強烈な動機が産み出されてしまうことになる。
その不協和を解消するためには通常、複数の方法が存在するのだが、人はしばしば、その中でも最も安易で“手っ取り早い方法”を採用してしまうことがある。
今回の場合で言うなら、日本は中国よりも上のはずだという信念が、中国の経済成長によって揺らぎ始め、大いなる不協和を感ずる状況に陥るのだが、その不協和を「安易」に解消する方法の一つとして、「中国のあら探し」をし始めてしまうに至るのである。
そして、中国がダメな理由を見つけては、「やはり俺たちの方が上なんだ」という長年持ち続けた中国に対する優越感を保持し続けようと(涙ぐましい、情けない)努力をし始めたのである。
つまり、嫌中ブームは、中国に対して客観的な国力の視点から日本が明確に敗北し始める中で、中国に対する長年にわたる優越感とプライドをどうにかこうにか保持し続けるための、社会心理学的現象として巻き起こったのである。
それはまるで、実力の無い没落貴族が、それでも俺たちは凄いんだと周りの人々に悪態をつき続けるという姿とうり二つだ。情けないことこの上ない話だ。
日本は「世界第2位」の地位を中国に譲り渡した
それではここで、改めて日本が中国に、客観的国力の視点から如何にして「敗北」していったのかを振り返ってみることにしよう。
まず第一に押さえておかなければならないのが、GDPだ。
日本は長らく、アメリカに次ぐ「世界第2位の経済大国」だったのだが、2010年に中国に追い越され、「第2位」の地位を中国に譲り渡し、「第3位」に転落したのだった。
これが日本人のプライドを激しく傷付けることになった。
そもそも日本は、「政治三流、経済一流」などと自認してきた。
この前者の「政治三流」の根底には、憲法九条や日米安保条約によって軍事力が「去勢」されていればまともな政治など出来るはずもないという実態があるのだが、それはさておき、保守もサヨクも、日本の政治は軍事、外交のみならず内政においてすら、先進諸外国と比べれば誠に恥ずかしきことに「三流」と言わねばならぬほどに劣悪なものだという認識を持っていた。
そんな中、どういうわけか経済だけは素晴らしい勢いで発展し続けることができる、そして、あの世界の超大国アメリカを凌駕するまでには至らぬものの、世界中にあるそれ以外の200以上ある全ての国よりも大きく成長する、素晴らしい「一流」の経済力を持っている――これが日本のナショナルプライド、日本人としてのプライドの源泉となっていた。そしてそれをコアとして日本人としてのアイデンティティあるいは誇りを日本人は保ってきたのである。
そしてその「証し」こそが、「世界第2位の経済大国」という称号だったのだが、その証しが中国に奪われてしまったのだ。
そしてこのGDPが逆転した頃から鮮明になってきたのが「尖閣諸島問題」だ。