最愛の弟子・松陰寺との別れ
それからしばらくして、ぶっちゃあさんと飲みに行く機会があった。俺は事務所の様子、自分が置かれている現状を包み隠さず伝えた。俺はあの日、気がついてた。お笑いとしっかりと向き合ってくれる事務所で、お笑いがしたいと。
すると、ぶっちゃあさんは真面目な顔でこう言った。
「うちにおいで。あそこはお笑いの事務所じゃないからなんもわかってへんねん。TAIGAは昔からオモロいねんから、ちゃんとした環境で芸人やったほうがええよ!」
仕事が増えなかったのは、きっと自分の実力なんだろう。だけど、決勝まで行ったことをこんなに喜んでくれる人たちがいる場所で、芸人を続けたいと思った。俺の腹は決まった。
帰り道、若林に電話で相談したところ、「移籍したほうがいいですね」と言った。冷静なあいつのアドバイスが、酔っ払った俺の頭の中でこだましていた。
2014年7月、事務所を辞めることを伝える。俺を拾ってくれた事務所の方々に「お世話になりました」と頭を下げた。そのときには感謝の気持ちしかなかったから、頭を下げながら、芸能界から干されたり、あるいは何年間は活動しちゃダメだと、釘を刺されるのだと思っていた。
「聞いたよ。まぁ他所行ってダメなら、また戻ってきてもいいからさ」
と言われたときは、思わずホロッとしてしまった。芸人なんて相手にされてなかったが、よく言えば寛大な事務所だったのだろう。最後の事務所ライブのあとに、芸人たちが送別会を開いてくれた。
ぺこぱの2人には「お前らも一緒にサンミュージック行こうぜ!」という言葉が喉元まででかかった。しかし、俺も入れてもらう側なので、そんな偉そうなこと言えない。朝まで続いた送別会が終わり、駅への帰り道で松井は号泣していた。
「本当に可愛がってもらって、誰よりもお世話になった先輩でした」
この数年後、再び同じ事務所になるとは、このときは知るはずもなかった。俺は松井に「またいつか会おう」と声をかけ、ひとり駅に向かった。
(構成:キンマサタカ)