最愛の弟子・松陰寺との別れ

それからしばらくして、ぶっちゃあさんと飲みに行く機会があった。俺は事務所の様子、自分が置かれている現状を包み隠さず伝えた。俺はあの日、気がついてた。お笑いとしっかりと向き合ってくれる事務所で、お笑いがしたいと。

すると、ぶっちゃあさんは真面目な顔でこう言った。

「うちにおいで。あそこはお笑いの事務所じゃないからなんもわかってへんねん。TAIGAは昔からオモロいねんから、ちゃんとした環境で芸人やったほうがええよ!」

仕事が増えなかったのは、きっと自分の実力なんだろう。だけど、決勝まで行ったことをこんなに喜んでくれる人たちがいる場所で、芸人を続けたいと思った。俺の腹は決まった。

帰り道、若林に電話で相談したところ、「移籍したほうがいいですね」と言った。冷静なあいつのアドバイスが、酔っ払った俺の頭の中でこだましていた。

2014年7月、事務所を辞めることを伝える。俺を拾ってくれた事務所の方々に「お世話になりました」と頭を下げた。そのときには感謝の気持ちしかなかったから、頭を下げながら、芸能界から干されたり、あるいは何年間は活動しちゃダメだと、釘を刺されるのだと思っていた。

「聞いたよ。まぁ他所行ってダメなら、また戻ってきてもいいからさ」

と言われたときは、思わずホロッとしてしまった。芸人なんて相手にされてなかったが、よく言えば寛大な事務所だったのだろう。最後の事務所ライブのあとに、芸人たちが送別会を開いてくれた。

ぺこぱの2人には「お前らも一緒にサンミュージック行こうぜ!」という言葉が喉元まででかかった。しかし、俺も入れてもらう側なので、そんな偉そうなこと言えない。朝まで続いた送別会が終わり、駅への帰り道で松井は号泣していた。

「本当に可愛がってもらって、誰よりもお世話になった先輩でした」

この数年後、再び同じ事務所になるとは、このときは知るはずもなかった。俺は松井に「またいつか会おう」と声をかけ、ひとり駅に向かった。

(構成:キンマサタカ)

『TAIGA晩成 ~史上初! 売れてない芸人自伝~』は、次回12/23(金)更新予定です。お楽しみに!!


プロフィール
TAIGA(たいが)
1975年生まれ。神奈川県出身。2005年『細かすぎて伝わらないモノマネ選手権』(フジテレビ)、2009年『爆笑レッドカーペット』(フジテレビ)、2009年の『あらびき団』(TBS)、2014年の『R-1』決勝進出でプチブレイク。下積み時代が続く中、2020年の『オードリーさん、ぜひ会ってほしい人がいるんです。』(中京テレビ)、2021年の『アメトーーク!』(テレビ朝日)出演で再ブレイクの予感がする47歳。Twitter:@TAIGAtrendy