売れない芸人仲間からの「ご報告」メール
前の事務所を辞めると伝えて、すぐにサンミュージックの門を叩いた。ブッチャーブラザーズさんが口をきいてくれたおかげで、すんなりと移籍できることができたのだ。初めて事務所に入ったのが1999年のことだったから、15年間で実に4回目の移籍となる。
サンミュージックは俺にとって最高の事務所だった。事務所やマネージャーは、ちゃんと芸人と向き合ってくれたし、なにより芸人へのリスペクトの気持ちを感じた。これまで何人もの売れっ子芸人を生み出している事務所の底力も感じた。
目をかけてくれる、ぶっちゃあさんをはじめ、仲のいい芸人の先輩や後輩も多かったし、事務所主催のライブは本当にレベルが高かった。それまでいかに生温い環境でやっていたのかも痛感した。だから思った。これが本当に最後の事務所だ。俺を拾ってくれたブッチャーブラザーズさんに恩返ししたい。
そんなある日、1通のメールが届く。家が近所だったから一緒にネタ作りをしたり、飲みに行ったりと親しくしていたピン芸人「大輪教授」さんからだった。
第7回R-1ぐらんぷりファイナリストからのメールには「ご報告」と書いてあった。なんだかイヤな予感がして、その先を読み進めることができなかった。それまでにも、こんなことは何度かあった。芸人から送られてくる「ご報告」は結婚か、解散・引退の二つしかない。大輪さんは結婚していたから内容は自ずと限られる。
メールを開くふんぎりがつかない。ふと、ビートたけしさんの名曲『浅草キッド』のフレーズが頭をよぎる。
♪夢は捨てたと言わないで〜
あの気持ちは痛いほどわかる。芸人仲間には独特な絆みたいなものがある。ライバルが1人減るのだから、普通に考えたらいいことのような気もするが、事務所や年齢が違っても、同じ夢を追うもの同志の一体感といえばいいだろうか。一般社会ではあまりない感覚かもしれない。
だから、引退の報告は本当にこたえる。トンネルをひたすら掘り続けていた仲間から「もう出口が見えないから辞めるわ」と言われたときの絶望感に近いかもしれない。トンネルの先に何があるのか、出口があるのか、何もないのかわからない。そんななかで放り出されてしまったような焦りも覚える。
何時間か経ち、ようやく覚悟を決めてメールを開く。
やはり引退だった。結論から言うと、芸人を引退して作家として裏方に回るという。30代後半は芸人たちがみんな悩む時期らしい。なぜなら、一般の仕事に就くならラストチャンス、と言ってもいい年齢だからだ。