2023年3月に東急新横浜線で新駅ができる「新綱島駅」

▲建設中の新綱島駅 出典:Ks photo / PIXTA

次に注目されるのが、2023年3月に開業予定の東急新横浜線で新駅ができる「新綱島駅」です。2023年3月に新規開業する「東急新横浜線」の新駅で、東横線「綱島駅」とは目と鼻の先です。

現在新綱島駅周辺では、土地区画整理事業と市街地再開発事業が一体的に施工されており、駅直結の地上29階建てのタワーマンションのほか、商業施設と区民文化センターができる予定です。さらに都心方面だけでなく、横浜にも新横浜にも出やすい非常に便利な街に変身します。

綱島は、大正時代に地元の人が井戸を掘ったところ、赤い水が出てきたので、専門家に調べてもらったら、それが「ラジウム温泉」だということが分かり、それがきっかけで温泉旅館などが栄えました。

▲温泉地として栄えた綱島 出典:yukimi / PIXTA

東京横浜電鉄(現在の東横線)も開業当初は「綱島温泉駅」と表記されており(1944年に綱島駅に変更)、戦前、戦後は「東京の奥座敷」と呼ばれ、東京の人がちょっとした観光気分を味わえる場所でした。

1960年代の最盛期には、約80軒もの温泉旅館があったというから驚きですし、かつては三味線の音色が聴こえ、着物の女性が闊歩する「ミニ京都」のような雰囲気だったといいます。

1927年からは東京横浜電鉄も直営の「綱島温泉浴場」を運営していました。目黒蒲田電鉄がつくった「温泉遊園地多摩川園」に倣って、綱島に温泉遊園地をつくる計画もあったようですが、資金不足で断念したようです。1964年に東海道新幹線が開通すると、熱海や箱根、伊豆方面にも日帰りで行けるようになり、綱島温泉は廃れていき、観光目的の温泉旅館は1994年には全て廃業しました。

高度経済成長期に当地がベッドタウン化されてきたことにより、温泉街というイメージは希薄になり、住宅地というイメージが定着していきました。

また今後は同地区前を走る綱島街道の向かいの「綱島駅東口駅前地区」でも市街地再開発事業が計画されており、綱島駅と新綱島駅との連動性が高まります。

元々渋谷方面、横浜方面のどちらにもアクセスしやすい立地で人気は底堅いエリアですので、駅東側が変貌を遂げることによって、さらに住みやすい、便利な街としての評価が高まることでしょう。

かつては「住みたい街」の上位じゃなかった横浜

▲横浜駅 出典:Ryuji / PIXTA

東横線の最後は「横浜駅」です。ひとつの駅に乗り入れる鉄道事業者数が日本最多で、11路線と実にたくさんの鉄道路線が横浜駅には接続しています。2019年度の乗降人員数は約230万人で、JR東日本管内では新宿駅、渋谷駅、池袋駅に次ぐ第4位となっており、東京駅より多いので、その交通利便性の高さは言うまでもありません。

また海の景観が素晴らしく、観光地としての人気も高いのは周知の事実です。それに加え、東京都心と比較すると若干リーズナブルな居住コストで住むことができるうえ、駅周辺の飲食店、商業環境も非常に整っているところなどが人気の秘密かもしれません。

「SUUMO」の「住みたい街ランキング」で2018年以来、5年連続で一位を獲得している「港町横浜」ですが、かつては「住みたい街」の上位にランキングされるような街ではありませんでした。

2022年は鉄道開業150周年の歴史的な年ですが、ご存知の通り1872年に新橋駅~横浜駅(当時はいまの桜木町駅)間に日本初の鉄道路線が敷かれたことに始まります。

▲観光地としても横浜の人気は高い 出典:node / PIXTA

長い歴史のある横浜駅ですが、周辺一帯は明治から大正期に新田開発のために陸路と線路間の海面を埋め立ててできた土地です。明治後期には油槽所(ゆそうじょ)として使用していたのですが、関東大震災の時にオイルが漏れ、あたり一帯が十数日にわたって燃え続けたという記録が残っています。

周辺住民の反対運動によって、油槽所は鶴見区安善町に移転したので、この跡地を1928年に新しい横浜駅としたのが始まりです。その後、私鉄各社が横浜駅に接続するようになり、駅として発展が始まります。

第二次世界大戦の空襲であたり一面は焼け野原になりましたが、戦後急速に復興して駅西口周辺を中心に繁華街として賑わいました。私も子どもから学生時代に、たまに横浜駅西口に行くことがありましたが、渋谷などと比較すると不慣れだったせいもあって、その複雑さと東京とは少し違った雰囲気、文化に戸惑い、軽いお上りさん気分になったものでした。