初めて見るプロレスのチケット
「“勿来”はなんて読む?」
「これは知ってるな。同じ福島だし常磐線の駅にあるからなあ。“なこそ”だな?」
「当たり! じゃあ“南風原”は?」
「……なんぷうばら?」
「はずれー。正解は“はえばる”でした。沖縄にあるんだ」
「沖縄とか北海道はわからんなー。ワシらは東北だけでも精一杯だわな、オッホッホッ」
田舎に来て3日が経った。今日もぼくはばあちゃんに地名当てクイズを出していた。日中は海で泳ぎ、夕方に帰ってきてから相手をしてもらっているところだった。
あたりがすっかり暗くなる頃、どこかへいっていたじいちゃんも戻ってきた。「おーい、戻ったどー」の声に、ばあちゃんはぼくの相手を中断し玄関へと向かう。
2人の会話が次第に近づいてくる。ちゃんとした言葉で耳に飛び込んできたのは、ばあちゃんの「それはええですな」で、じいちゃんはどこか得意げに「そうじゃろ?」と返し、ぼくの顔へと視線を移す。
そしてカバンの中をごそごそとあさると、長方形の紙を1枚取り出し、ぼくに差し出した。けっして大きくはないのに、そこには10人以上の裸になった男たちの写真がプリントされている。その中には覆面を被った人も…えーっと、この人、見たことがある。でも名前が出てこない。
『東北プロレス』
一番大きな字で、そう記されていた。それは、初めて見るプロレスのチケットだった。
「なんでも岩手県のプロレス団体らしいんだけんど、明日の夜にな、楢葉に来て町の体育館で試合やるってさ。せっかくだから見にいってこいな」
じいちゃんによると、用事があっていった知り合いの石材店でもらってきたらしい。プロレスのチケットって「ぴあ」とかそういうところか、もしくは会場で買うものだとばかり思っていた。大会がおこなわれる地元のお店に預ける売り方もあるそうだ。
「店にポスターが貼ってあったんで、チケット置いてあんのかって聞いたら『ある』ってな。それで今、ウチの孫が来てるから見せてやりたいって言ったら『じゃあ、1枚やっから』ってくれたんさ。プロレスの切符なんて高いだろ。申し訳ねえなって頭下げようとしたら、そんでもねえって言うしさ」
チケットを見ると、大人は前売り2980円で当日が3500円。小中学生は当日1500円、前売りは980円と書いてある。1000円かからないって!? ぼくも5000円とか1万円ぐらいすると思っていたから、へえーっとなった。
大人料金分は出せないけれど、子ども1人分ならサービスしてやろう…お店の人はそう思ったのかな。けれども、ぼくはプロレスなんてテレビでさえほとんど見たことがないし、まったく興味の対象外だった。
何よりも、二言目には「大人になったらプロレスラーになれ」と言われ続けてきたことで、無意識のうちに自分の中へ入ってくるのにストップをかけていたんだと思う。じいちゃんにもお店の人にも申し訳ないけれど、まるで気乗りしなかった。
「いいから、いってこいって。何もプロレスをやれって言ってんじゃねえから。いっくらレイちゃんがおっきいからって、プロレスみたいな危ないの、やらせるわけにはいかねえってなあ。だけど、見る分にはいいんじゃねえのか? いっつも言ってっけど、人間は物の見方を広げないかんて」
結局、プロレスを見るというよりじいちゃんの気持ちをムダにはできないとの思いから、ぼくはいくことにした。別に楽しめなくてもいいんだ。
翌日、まだ会場へ向かう時間ではなかったのでぼくは昼寝をしていた。すると、拡声器を通したような大きな音が近づいてきて、それに叩き起こされた。
「東北プロレス楢葉大会は、いよいよ本日、いよい本日午後6時30分より、楢葉町町民体育館にてゴング!」