時は2000年代初期。インターネットが普及し始め、スマホではなく“ケータイ”だった頃、身長が180cmを超えながらスポーツが嫌いで、難しい地名を知ることが楽しみな漢字オタクの小学生がいました。あだ名は「アンドレ」。これは、そんな少年が東北の風景の中でプロレスを通じて、さまざまな経験をし、人生を学んだひと夏の物語です。
その巨体から大人になったらプロレスラーになるよう勧められながら、それに反発するアンドレこと安藤レイジ。だが、父からは中学生になったらスポーツのクラブに入るよう言われており、夏休みに大好きな田舎へ帰るのも今年の夏が最後。そんなアンドレに思わぬ機会が訪れる――。
東京から楢葉へ初めての一人旅
ぼくは建物が並ぶ東京と違い、自然に囲まれた楢葉の町が大好きだった。田舎へいる間は、時間に追われることなく自由にノンビリと過ごせた。
町の西側には阿武隈山地が寝そべり、東には太平洋に面した白い砂浜が広がっている。どっちを選んでも、一日中遊べる。じいちゃんの自転車を借りて、サイクリング気分でいってみるんだ。
田んぼの中でピョンピョンと跳ねるカエルを捕まえたり、木に止まったセミを獲ったり。庭でたき火をして、栗や枝豆をふかすのを気長に見続けるだけでも楽しかった。
宿題を持ってくると、東京と同じような時間の使い方になってしまうので、全部置いてきて田舎から戻ったら片づけることにした。それも今年までか。
7月下旬、夏休みが始まった。例年は、お盆の時期になると父さんが会社の休みをとり、母さんを含めた家族全員で楢葉にいっていた。それが…。
「レイジ、今年の夏はおまえ一人で田舎にいってこい。父さん、仕事が忙しくて休みがとれそうにないんだ。母さんと2人でいかせることも考えたが、中学へ入る前に一人旅を経験してみろ。これも勉強だ。
その代わり、2学期が始まる前に戻ってくれば好きなだけ向こうにいていいぞ。じいちゃんとばあちゃんにも、そう言ってある」
ぼくは初めて、一人で東京を飛び出すことになった。お盆の時期は混むという母さんの考えもあり、出発は8月の頭にする。
楢葉は、上野駅から常磐線の特急に乗り、いわき駅で各行き列車に乗り換える。そして竜田という小さな駅で降りる。
3時間弱の旅は、車内誌に載った東北地方の地図を見ているうちに過ぎてしまった。駅へ着くと、じいちゃんとばあちゃんが迎えに来てくれていた。
「レイちゃん、よく一人で来たねえ」
「うん。でも、駅員さんもほかのお客さんもぼくのことを小学生だとは思っていないだろうから、これが普通に見えたんだと思うよ」
上野駅から特急に乗るべく、緑の窓口で切符を買おうとするぼくが「小人1枚」と告げると、係の人は「えっ?」という顔をした。映画を見にいったり、区営のプールに入ったりする時と同じだ。
「お客さん、中学か高校生でしょ? 子ども料金は小学生までだよ」
そのたびにぼくは、学校が発行した証明証を見せなければならなかった。「普通、中学に入って生徒手帳を渡されるまで、こんなものは必要ないんだがな」と、先生が言っていた。
でも、大人と比べても背の高いぼくがよけいなトラブルに見舞われぬようにと、特例として校長先生が作ってくれたんだ。たまに、それを見せても「キミさあ、こんなものを偽造してまで小学生料金で入りたいの?」なんて言ってくる人もいるけれど、そういう場合はカードに記された学校の電話番号をかけてもらう。
「安藤レイジ君は、間違いなく本校の生徒であり、小学生です」
電話口でそう告げられると大人独特の嫌味な表情が、みるみるうちに驚きで染まっていく。それがけっこう面白くて、自分が勝った気分になれた。
上野駅の係員さんはいい人だったので、カードを出さなくても「ごめんねえ、背が大きいから高校生だと思ったよ」と認めてくれた。そうなると反対に、こっちが悪いことをしたように感じてしまう。
車内でぼくのことを見た人たちも、誰一人として小学生だなんては思わなかっただろう。「切符を拝見させていただきます」とまわってきた車掌さんには、一緒に証明証を提示した。チラ、チラ、チラッと3度、こっちの顔を見た。
背は高くても、顔つきはまだ小学生だから「童顔の若い人だと思った」とよく言われる。そうかな? いくらなんでも、こんな幼い表情の高校生や大学生はいないと自分では思うんだけど。
「この一年で、まーた大きくなったんじゃないんか?」
ぼくを見上げながら、ばあちゃんが少しだけ驚いたように言った。確かに、5年生の5月に受けた健康診断では181cmだったのが、6年の同じ月に測ったら185cmに伸びていた。
じいちゃんも178cmあるから大きな方だけど(トシをとって腰が曲がり173cmぐらいに見えてしまうが)、もうそれを超えてしまっている。
毎年、健康診断の日はぼくの身長がいくつになっているかでみんなが盛り上がる。誰かが「おおっ、185かよ! さすがはアンドレなだけあるな!」などと叫ぶと、クラスのみんなが憶え、一年間は何かというとその数字をネタにされるのだ。
何が「さすが」なのかさっぱりわからないが、それで盛り上がれるんだったら別にいいやと思うようにしてきた。また一回り大きくなったぼくを見たじいちゃんは、ばあちゃんの言葉のあとにこう続けた。
「レイちゃんさ、何か運動は始めたんか?」
ぼくは返答しないで、じいちゃんが運転する車の後部座席にリュックサックとスポーツバッグを投げ入れた。セミの鳴き声がうるさくて聞こえなかったということにしておこう――。