時は2000年代初期。インターネットが普及し始め、スマホではなく“ケータイ”だった頃、身長が180cmを超えながらスポーツが嫌いで、難しい地名を知ることが楽しみな漢字オタクの小学生がいました。あだ名は「アンドレ」。これは、そんな少年が東北の風景の中でプロレスを通じてさまざまな経験をし、人生を学んだひと夏の物語です――。
ぼくの名前は安藤レイジ
友達って、いつぐらいからあだ名で呼び合うようになるのだろう。ぼくの場合は、小学4年生まで普通に苗字で呼ばれていた。それが2年に一度のクラス替えで一緒になった子がニックネームつけたがり屋さんで、片っ端から本名とは違う呼び方を考えては得意げな顔を浮かべるやつだった。
だいたいは名前をもじったものか、顔が似ている有名人にちなんだパターン。「おまえのあだ名は○○○な!」と一方的に決めつけるのだが、面白かったら他のクラスメイトもそれにならい、狙いすぎやピンとこないものは当然ながら定着しない。
そうした中で、僕の時だけみんなの反応が明らかに違った。
ぼくの名前は安藤レイジ。だからその子、ノボルは「おまえは…誰が見てもアンドレだよな!」とニヤニヤしながら宣告した。次の瞬間、みんなが同じ思いを抱いた時のどこか妙な空気の動きを感じた。
アンドウレイジだから、略してアンドレなんてなんのひねりもないのに、どうしてみんな何かを発見したかのような顔をしているんだ? でも、ひねりすぎてヘンなあだ名をつけられるよりはマシか。どう呼ばれようとも気にする必要もないし。
それにしても、ノボルもあの作品を知っているんだ。男なのに少女漫画を読むなんてぼくぐらいだと思っていたけど、さすがに『ベルサイユのばら』は有名なんだな。
トイレの中に漫画が置いてある家って多いと思うけれど、便座をはさむように左右へ積まれているのはウチぐらいだろう。右に父さん、左に母さんが好きな作品と分けられているんだ。
『ブラック・ジャック』『ドカベン』『トイレット博士』…父さんが若かった頃の漫画は今見ても面白い。でも、それに対し母さんの方は『ガラスの仮面』『はいからさんが通る』『つる姫じゃ~っ!』など少女漫画ばかりで、最初はまったく読む気がしなかった。
ある日、たまには違うのも見てみるか……という感じで何気なく左側に手を伸ばした。それが“ベルばら”で、意外といったらアレだけど面白く感じた。
幼なじみのオスカルを愛し、身分の差を乗り越えて彼女を守り、フランス革命にて死ぬまでその思いを貫き通す…歴史に残る理想的な人物になぞられたら、悪い気はしない。ぼくの好きな『北斗の拳』に出てくる南斗水鳥拳のレイみたいだし、それにアンドレは男前だしね。
こうして5年時から「アンドレ」と呼ばれるようになったぼくは、東京にある葛飾区立の小学校へ通いごく普通に遊び、ごく普通に勉強し、ごく普通の日々を送っていた。得意な科目…というか、好きなのは日本の地理。いろいろな都道府県の地名を憶えるのが楽しくて仕方がないんだ。
国語の授業ではなかなか身につかない漢字が、地名だと不思議なほどに飲み込みが速い。最初は地理の時間に出てきた都市名を憶えるだけだったのが、だんだん面白くなってきてインターネットで日本中の地名を調べては、難しい読み方のところを攻略していった。
小学生で膳所(ぜぜ=滋賀)とか読谷(よみたん=沖縄)とか、員弁(いなべ=三重)のような地名を読めるなんて、漢字オタクだと先生までが言っていた。ぼくにとって、それは誉め言葉だ。
そんなぼくだから、毎年夏休みに母さんの田舎の福島県楢葉(ならは)という町へいくたびに、じいちゃんとばあちゃんへ「ねえねえ、これなんて読むかわかる?」と、東北地方の地名クイズを毎日のようにやって過ごした。2人が答えられないと、こう言って威張るんだ。
「楢葉なんていう難しい地名のところに住んでいるんだから、これぐらい読めるでしょ?」
ぼくが小さい頃は、そう言われると「レイちゃん、ごめんねえ、わからなくて」と笑っていたばあちゃんも、4年生ぐらいからは困った顔しかしないようになる。じいちゃんはもう相手をすること自体勘弁してとばかりに、スーッといなくなった。
「レイちゃんな、地名を憶えるのはいいことだと思うし、大人になって役に立つだろな。でも、もっといろんなことに興味を持った方が物の見方も広がる。どうしておまえは、そんな大きいのにスポーツをやらねんだ? じいちゃんは、もったいないと思うなあ」
5年生の夏休みに田舎へ帰った時、じいちゃんからそんなことを言われた。そう、ぼくは地名を憶える以外、夢中になれるものがなかった。何よりもスポーツは大嫌いだった。なぜかって? なぜかって…。