悠仁親王殿下のご誕生で、“男系男子の皇位継承資格者の不在”は必要のない議論となった。だが、悠仁親王殿下がお一人で神武天皇の伝説以来の歴史を背負っているという状況はまったく変わっていない。常に緊張感を持っていなければならないと歴史学者・倉山満氏は警鐘を鳴らします。
※本記事は、倉山満:著『決定版 皇室論 -日本の歴史を守る方法-』(ワニブックス:刊)より一部を抜粋編集したものです。
皇族は名誉毀損の訴えを起こすことができない
いわゆる女系天皇容認論は、皇室典範に関する有識者会議の報告書にある通り、“男系男子の皇位継承資格者の不在”という危機感から出たものです。したがって、悠仁親王殿下がお生まれになってこの世におわす限り、必要のない議論です。
ただし、悠仁親王殿下がお一人で神武天皇の伝説以来の歴史を背負っているという状況はまったく変わりませんから、何もしなくていいわけではないのです。
今後、悠仁殿下がご無事に成長、ご結婚され、男の子が生まれ、その子が皇位を継ぐ。もしそうなれば、本当に何も考えなくてよいでしょう。しかし「御成長~お妃探し~お世継ぎづくり」と、当たり前のことを当たり前に行うのは、誰の人生にとっても当たり前ではないのです。
既に、悠仁殿下のお命を狙う不逞の輩は、現れています。平成31(2019)年4月26日、悠仁殿下がお通いになるお茶の水女子大付属中学校の、殿下の机の上にピンクの包丁が置かれていました。幸いなことに殿下は教室にいませんでしたが、犯人は「殺すつもりだった」と供述しています。
皇室の歴史に少し詳しい者からしたら、これは「即位を辞退せよ」との脅しに聞こえます。藤原氏は摂関政治で皇室以上の権力を誇りましたが、それは気に入らない天皇や皇族を排除してきたから可能だったのです。藤原氏の他氏排斥は学校で習いますが、皇室への圧迫はほとんど知られていません。
藤原氏は気に入らない天皇を退位させたり、皇族に即位を辞退させたりするために「ピンクの包丁事件」のようなことを、何百年もやってきたのです。
藤原氏の時代は皇族がたくさんいたので、そのなかで勝ち抜くための権力闘争でした。皇族が多すぎても、皇統保持の危機があるのです。
逆に今は皇族が少なすぎて、皇統保持の危機なのです。悠仁殿下の身に何かあれば、その時点で小泉内閣の時点に逆戻りなのです。そうなったら取り返しがつかないかもしれません。
悠仁殿下は平成28(2016)年11月20日、交通事故にも遭っていらっしゃいます。秋篠宮家は、いまだに警護が他の皇族と同じで、皇太子の処遇になっていません。これはすべてに優先して改善すべきでしょう。
お妃探しにしても「皇族相手なら、どうせ名誉毀損裁判に訴えられないので、やりたい放題」のバッシングが日常化しています。相当のご覚悟がある方でないと、名乗りを上げてくれないでしょう。皇族になった瞬間、国民としての権利をなくして義務だけになるのですから。
皇族は、個人的に名誉毀損の訴えを起こすことができません。刑法第232条で「天皇・皇后・太皇太后・皇太后・皇嗣に対する名誉毀損や侮辱の罪は、内閣総理大臣が代わって告訴する」と定められています。一君万民の建前で「お前だけは許さない」という態度は皇族には許されていないのです。実際には、一件も裁判が起こされたことはなく、すべて泣き寝入りです。
現在の皇室にはお世継ぎづくりが最優先
そして、お世継ぎづくりです。
皇位継承者の数の不足の背景には、皇族の方々のご公務が忙しすぎる、ということがあります。宮内庁のホームページに掲載されている皇室の活動日程を見ると、どれほどに忙しい日々を送られているかがわかります。
女系天皇容認論者として知られる皇室研究者の高森明勅氏は、著書『「女性天皇」の成立』(幻冬舎/2021)のなかで、「『皇族減少に伴う公務の負担軽減策』など誰も求めていない」と言い切っています。高森氏は善意でおっしゃっているのでしょうが、この状況でご公務軽減をしなければどうなるか。
たしかに「天皇陛下や皇族の方々に来ていただきたい人が大勢いるのだから、ご公務を減らすことはできない、天皇や皇族がいらっしゃるのを国民は喜んでいるのだから、そうした状況を安易に減らすような真似はすべきではない」と言われれば、ごもっともです。そこだけ聞けば、と言うしかありません。
しかし皇室においては、お世継ぎづくりが最優先です。ご公務などはお世継ぎづくりのあとでいいのではないでしょうか。「ご公務が忙しくてお世継ぎが生まれない」など、本末転倒です。悠仁殿下には、最小限のご公務以外は削っていただかなければ困ります。いっそ学校など行かずに、いち早くご結婚いただくことが何よりに優先事項ではないでしょうか。
もう一つ。「悠仁親王殿下は留学されるといい」と言う人は、わかっていないか偽善者だと私は断じます。
今上陛下は昭和58(1983)年から2年間、英国のオックスフォード大学に留学していました。一人暮らしをしていて自由を満喫していたらしいことは、ご自身のエッセイ集『テムズとともに -英国の二年間-』(学習院教養新書/1993)にもお書きになっている通りです。しかし、これは、弟君の文仁親王殿下(現在の秋篠宮殿下)がいらっしゃったからできたことです。
今の状況で悠仁親王殿下に何かあれば、誰がどのように責任を取るのでしょうか。事が大きすぎて、誰も責任など取れないのです。
皇室には、何度も“途切れてしまうのではないか”との危機がありました。それは今も続いているのです。むしろ、絶対に子どもが生まれる技術がない以上、“これをやっておけば安心”という方法はないのであって、常に緊張感を持っていなければならないのです。
この努力を続ける意思を持つことから、具体的にどうすべきかが始まります。