「先例」というと「先例踏襲主義」のように、悪い意味の言葉として使われがちだが、皇室における「先例」とはそういう意味ではない。皇室における「先例に基づいて物事を考えるべし」は、歴史の中で生まれた知恵である。

「皇位の男系継承」論は、これまで例外なく続けてきた日本の歴史を守るか、守らないかだけの問題なのである。歴史学者・倉山満氏が、日本の皇室がどのようにして、幾多の試練を乗り越えてここまできたか、その秘訣を熱く語ります。

※本記事は、倉山満:著『決定版 皇室論 -日本の歴史を守る方法-』(ワニブックス:刊)より一部を抜粋編集したものです。

「先例に基づいて物事を考えるべし」は皇室の知恵

▲皇居 二重橋 写真:khadoma / PIXTA

世の中には「私の考える理想の皇室」というものを頭の中に描き、その時その時の理論によってそれが正しいということになれば、いかようにも皇室を変えてもいいとする人もいるようです。しかし、少なくともこれまでの皇室は、そのような考え方を採ることはありませんでした。

世襲である以上、伝統の世界です。特に皇室というところは、自身のあり方を「先例」に基づいて議論してきました。「先例」の積み重ねが、伝統です。

「先例」というと「先例踏襲主義」のように、悪い意味の言葉として使われがちですが、皇室における「先例」とはそういう意味ではありません。簡単に言えば、政府や民間は、皇室の猿真似をしてきたのです。

皇室における「先例に基づいて物事を考えるべし」は、歴史の中で生まれた知恵です。「先例」は「掟」と言い替えてもいい言葉です。皇室においては先例が掟です。

多数決であろうが絶対権力者の意向であろうが、その時代だけの一時の意見で超えてはならない掟があり、それが先例である、ということです。問題は、どの先例が吉例なのかを、その時代ごとに議論するのです。先例にはもちろん、吉例と悪例があるからです。つまり、どの先例が吉例なのか、それを歴史から発見しようとするのが、皇室を語る態度です。

先例という掟があるから、日本では、いかなる権力者も勝手なことはできませんでした。最も大きな例を挙げます。他の国では「自分が皇帝になる」などと言って、前の権力者に取って代わることが多々ありました。

一方で、日本ではそのようなことは一度も起きませんでした。初代神武天皇の伝説以来、民間人の男が天皇になったことはありません。皇族になったこともありません。代々、皇族の方々が皇位(天皇の位)を受け継いできました。これを「万世一系(ばんせいいっけい)」と呼びます。

どんな権力者も皇室に入ることはできませんでした。娘を皇室に嫁入りさせた例は多々あれど、男が皇室に入ったことは一度もありません。なぜなら、先例がないから、許されなかったのです。

たとえば、小学校の教科書にある摂関政治です。「平安時代の藤原氏は娘を次々と天皇の皇后とし、自らは外戚として権力を振るいました」と習います。

外戚とは「天皇の親戚」の意味です。しかし「天皇家の外」にしかいないから、外戚です。いかに権力を持つ藤原氏といえども、先例がないから、皇族にはなれないのです。皇族とは天皇になる資格がある、天皇の身内のことです。蓄積された先例が掟として立ちはだかったので、民間人の男は誰一人、皇室には入れなかったのです。

日本の歴史には、蘇我・藤原・平・源・北条・足利・織田・豊臣・徳川と、皇室をはるかにしのぐ権力者が数多く存在しました。むしろ、天皇が権力を握っていた期間のほうが圧倒的に短いくらいです。

しかし、誰も天皇に取って代わるどころか、皇族になることすらできませんでした。「先例がない」とは、それほど重い意味なのです。

もちろん、「先例」と言っても完全に杓子定規(しゃくしじょうぎ)に再現するのではなく、過去の先例を組み合わせたり、「准(じゅん)ずる」形で踏襲したり、あるいはどうしようもない突発事件が起こったときは、新儀(しんぎ)で乗り切ったりしました。しかし、それでも一度も例外なく遵守された先例があります。

それが皇位の男系継承です。