2022年大河ドラマ『鎌倉殿の13人』でも描かれましたが、北条氏が鎌倉幕府の実権を握っても将軍とならずに執権であり続けたのは、将軍には源氏の血筋が必要とされたからですが、なぜ関東武士たちは源頼朝を筆頭に源氏を自分たちの棟梁としたのでしょうか? そこには「五世の孫」の原則がありました。現在の皇位継承問題と合わせて、歴史学者・倉山満氏が紹介します。

※本記事は、倉山満:著『決定版 皇室論 -日本の歴史を守る方法-』(ワニブックス:刊)より一部を抜粋編集したものです。

皇室の長い歴史を守ってきた「五世の孫」の原則

皇位継承において今、皇室に次世代の皇族が少なすぎることが問題とされています。だから見えにくいのですが、子どもが多すぎても争いが起きて皇位継承が不安定となるのが日本の歴史です。外国の歴史をみてもそうです。王位(帝位)継承者が多すぎて、それが常に騒乱の種になってきました。

そうした争いを避けるために「五世の孫」の原則というものがあります。「五世の孫」の原則とは、皇室の直系から遠い皇族は、五世以内に皇室から出ていって民間人となる、つまり臣籍降下しなければならないという原則です。したがって桓武天皇(737〜806年)の五世以内に平氏ができました。

桓武天皇の曾孫(四世)の高望(たかもち)は、臣籍降下して平の姓を賜(たまわ)って平高望と名乗り、桓武平氏の祖となりましたが、平氏は君臣の別により皇族とは扱われません。また、清和天皇をはじめとする天皇の五世以内に源氏ができたりしました。

歴代天皇には源氏の姓を賜った「賜姓(しせい)源氏」がいます。そのなかで最も有名なのは、清和天皇(850〜881年)の「清和源氏」です。清和天皇の孫の経基王(つねもとおう)が源氏の姓を賜り、子孫に源頼朝や足利尊氏が出て武家の世を開きます。

▲第56代 清和天皇(清和院) 出典:Wikimedia Commons

直系の尊重は、皇室だけに限らない日本の伝統です。直系から遠い方というのは後継者として敬遠されます。「天皇の退位等に関する皇室典範特例法案に対する附帯決議」に関する有識者会議の報告書には、直系とは離れた継承の例として、徳川家の継承が例として挙げられていました。

「例えば、徳川家は、征夷大将軍全15代のうち6代が先代の実子ではなく、徳川家康の血をひく子孫が後を継いでいる。家康の血をひいていることが重視されたものと考えられ、例えば、第10代家治は、5親等離れた家斉を養子として後を継がせている」と紹介されています。

第15代将軍の徳川慶喜は、聡明だからと評判でながらく将軍候補として挙がっていましたが、当時の現将軍の直系からはとてつもなく遠い人でした。先代第14代の家茂(いえもち)と共通の先祖を辿っていくと、250年前の徳川家康に辿りつくに過ぎず、徳川将軍家のような名門でなければ、まったくの赤の他人として認識もされないでしょう。

直系を男系より重要視するということはありませんが、直系も大事な原則の一つではあります。男系のなかで直系を重視する、ということであり、この優先順位を逆にするとわけがわからなくなります。

永代親王家「伏見宮家」

皇室においては五世の孫の原則がありますが、例外があります。なかでも重大な例外が伏見宮家です。伏見宮家は、南北朝時代の動乱の複雑な経緯から永代親王家となった家系ですが、有識者会議で話題になっている旧皇族家と言われる人たち、つまりGHQに追い出された11宮家はすべて伏見宮家の子孫であり、明治時代には伏見宮家系統と呼ばれていました。

伏見宮家は約600年前の、当時の数え方で第98代の崇光天皇(1334〜1398年)を先祖とします。600年前の話ですから、皇族ということでなければ親戚だとは絶対に認識できないくらい遠く離れているというのは確かです。その点で、女系天皇容認論の人たちの批判は一理あると言えるでしょう。

皇位継承については、こうした非常に難しい要素がいろいろあります。したがって、皇室を語る際には勝手なことを自由に考えるのではなく、どの先例に従うべきなのかという議論を軸としなければなりません。

私は現実離れした話をするつもりはまったくありません。皇室の未来を語っていただきたい政治家の方にこそ伝えたいくらいのことなので、日本国憲法の枠内でお話しします。これが、皇室を語る際の大原則「日本国憲法の条文と通説の範囲内で論じる」です。

良い悪い以前に日本国憲法は変わりません。日本国憲法の枠内ということの意味は、具体的に言えば、日本国憲法の変わらない条文をもって語るということ、そして憲法学界のいわゆる護憲派の通説ですら認められるようなところで語る、ということです。私は日頃それらを批判していますけれども、これは学界多数派の通説であり、政府の有権解釈であるというところに基づいてお話をいたします。

通説も有権解釈もころころと変わりますが、護憲派を全否定するような議論をする気はまったくありません。

ただし、現行の皇室典範は無理がきていますから、皇室典範についてはどこかで改正する必要があります。ちなみに、世襲制を廃止するのであれば、憲法改訂が必要です。皇位の世襲制廃止は改悪だと私は思っていますが、あえて改悪とは言いません。改訂と言っておきます。

ここまでの議論だけでも共有できないという人も、きっといらっしゃることでしょう。そういう人たちに言うことがあるとすれば「どうぞ憲法を変えてください」ということだけです。

▲崇光天皇 大光明寺陵 写真:Saigen Jiro / Wikimedia Commons