2016年の熊本地震から7年が経とうとしている。当時、安倍元総理は被災地への災害支援をプッシュ式とプル式に分け、時期によって使い分けるように指示を出していた。実際に現場で支援に携わっていた小川清史元陸将が、安倍元総理の英断でスムーズに回っていた現場の状況を振り返ります。
※本記事は、インターネット番組「チャンネルくらら」での鼎談を書籍化した『陸・海・空 究極のブリーフィング-宇露戦争、台湾、ウサデン、防衛費、安全保障の行方-』(ワニブックス:刊)より一部を抜粋編集したものです。
災害対策本部長として指揮を執った安倍元総理
桜林 安倍晋三元総理と小川さんの接点はどういう感じでしたか?
小川(陸) 私はわりと身近なところで安倍元総理のリーダーシップを感じたことがありましたので、それについてお話ししたいと思います。
平和安全法制のときに、安倍元総理が防衛大臣を制して「ここは大事なところだから私が」と自ら答弁したというエピソードがありましたが、それが象徴しているように、安倍元総理は自らリーダーシップを取る人でした。だいぶ前の国会答弁で、大臣クラスの政治家が「ここは大事な話なので局長に話させます」と言う人がいたと思うんですけど、まさに対照的です。
私は陸上自衛隊出身なので、災害派遣に従事したことがわりと多かった。たとえば1995年の阪神淡路大震災のときは、伊丹で中隊長をしていたのですが、当時は社会党党首の村山富市さんが総理でしたし、2011年の東日本大震災のときには民主党政権で、自民党以外の政権とも連携をとったことがあります。
安倍元総理が、災害対策本部長として指揮をとられた2016年の熊本地震。当時、私は西方(西部方面隊)総監でした。あのとき、安倍元総理が立てた方針で、現場の人間として非常に助かったと思ったことが大きく2つあります。
第一に、安倍元総理は対策本部を中央と熊本地域の両方に出したうえで、大臣や国会議員の現地入りを「1週間は現地に入るな」と制限しました。
桜林 皆さん、ちょこちょこ行きますからね。
小川(陸) 大臣が来るとなると、そのための交通統制であるとか、災害派遣を途中でやめてブリーフィングの準備をするとか、どうしても受け入れの準備が必要になり、派遣活動に100%専念することはやや難しくなります。
安倍元総理に彼らの現地入りを制限していただいたおかげで、そういうことにまったく意を払うことなく、災害派遣に完全に専念することができました。実際、安倍元総理が視察に来られたのも1週間が経ってからです。
安倍元総理は、被災地を大型ヘリのチヌークに乗って上空からまず見られて、それから現地に入られました。そして安倍元総理の視察後、最初に現地入りを許可したのは、自力で現地に行ける防衛大臣でした。現場の人間からすると、その統制がすごくありがたかった。