スカート、トリプルファイヤー、KinKi Kidsなど、さまざまなアーティストのレコーディングやライブに参加するパーカッショニストのシマダボーイ。

4月6日(木)に渋谷WWWで「第30回 南太平洋シマダ選手権大会」という、シマダ自身が全バンド・ユニットに出場するライブイベントを企画した彼に、これまでの人生や、パーカッショニストとし活動したきっかけ、パーソナルな部分や今回のライブへの意気込みをインタビューした。

▲シマダボーイ

高校をやめてマーチングバンドの講師に

――シマダボーイさんがどういう幼少期だったのか、想像がつかなくて。

シマダボーイ(以下、シマダ) 実家がケーキ屋だったんですよ。それで一人っ子だったんで、基本は厨房にいて、周りは大人ばかりだったんで、大人に可愛がられるっていう子どもでした。

――なんかでも想像つきますね……その頃は何が好きでしたか?

シマダ ゲームばっかりやってましたね。あと、親が音楽好きだったんで、ずっと店内には曲が流れてましたね、父親はロッド・スチュアートが好きで、母親はレゲエが好きで。店内は母の趣味でレゲエが流れてました。

――レゲエが流れるケーキ屋、面白いですね(笑)。その頃にはもう楽器とかやってたんですか?

シマダ いや、普通に聞いてただけですね。とにかく6歳くらいの頃から、ずっとボブ・マーリー&ザ・ウェイラーズの『レジェンド』ってベスト盤のVHSを見せられてて。だから当時、流行ってる音楽よりかは、そのVHSと当時は名前も知らないレゲエミュージシャンの記憶が大きいです。

――音楽的な目覚めっていうとどこになるんですか?

シマダ これは今考えるとなんですけど、音ゲーのビートマニアですね。あれって、曲を選ぶじゃないですか、そこにレゲエとかテクノとかいろいろ書いてある。今思うとあれが合ってるのかもわからないですけど(笑)。そこでジャンルというものを認識しましたね。

――あー! なるほど、めっちゃいい話ですね。

シマダ あとポンキッキーズですかね、ピエール瀧さんいて、BOSEさんがいて。

――わかります。当時は気づかないで“いい歌だ”って思ってましたけど、電気の「ポポ」とか完全にアシッドがモチーフですしね。

シマダ そうそう。それで言うと、初期ポケモンの絵もめっちゃ怖くて印象に残ってますね。ポケカの絵柄も怖かったし、なんなら初代のポケモンとか全体的に雰囲気が暗いし(笑)。僕、いまだにゲームはNINTENDO64で止まってるんですよ。ずっと64をやり続けてる。

――いきなり(笑)。

シマダ 64のあの不気味なCG。音楽よりも確実に人格形成に影響を与えてるのは64っすね。ドラクエとかFFよりも、突き放された感じがして心地良いんですよね。いまだに64のゼルダシリーズをずっとやり続けてます、何十回もクリアしてるから、全部の謎解きわかるんですけど、それでもやっちゃうんですよね。

――パーカッションに出会ったのはいつなんでしょうか?

シマダ パーカッションは高校からなんですけど、中1からマーチングバンドをやっ
てたんです。それは親父がよくエド・サリバンショーのDVDを見てて、そこでコンガって楽器を知って、カッコいいなって。その頃は楽器の名前すら知らなかったですけど。で、たまたま入った中学校が吹奏楽とマーチングをやってたんです。吹奏楽よりマーチングバンドに活気があって惹かれたんですよね。で、高校に行っても吹奏楽じゃなくて、社会人のマーチングバンドに入って活動を続けてたんです。

――ギターとかベースとかじゃなくて、いきなり叩くことに惹かれたんですね、それがすごいと思います。普通そっちにいきたいじゃないですか。

シマダ あー、でも当時、mixiとかでバンドメンバー募集みたいなのを見て、“じゃあドラムやってみようかな”と思ったんですけど、そこで自分に責任感がないことに気づいて……ドラム向いてないな、と。

――あはははは!(笑)

シマダ ドラムって責任感のある人がやってるイメージじゃないですか。なので、成り行きでパーカッションになりました。僕、高校を途中でやめちゃってるんですけど、そのときに中学の吹奏楽部の先生から「いま小学校で教えてるマーチングの指導を手伝ってくれない?」って。

――え、サラッと言ってますけど16、17くらいの頃の話ですよね?

シマダ そうです、高校もやめたタイミングで時間あったので。そこで知り合ったほかの講師はみんなキャリアのある人で、しかも担当した子たちがめちゃくちゃ優秀で、結果が出たことで、ほかの学校にも呼ばれるようになって、なんとなく仕事っぽくなりました。

――その頃はプロのミュージシャンになりたいとかはなく?

シマダ ありましたけど、音大出てるわけでもないし、職業ミュージシャンなんてなり方わかんないし、バンドやるしかないって感じでした。高校も、なんかいろいろ合わなくてやめただけで、別に志があったわけじゃないんです。