お笑いトリオ・グランジの五明拓弥による『39歳の免許合宿 -ストーリーは自分(てめぇ)で創れ-』。ごめたん名義で昨年発売されたこの漫画で、39歳にして免許合宿に挑むのが五明本人、そして友人のミュージシャン・imaiだ。

最高に楽しくて、最高に理不尽な免許合宿に挑む二人が、可愛らしく見えるのは、五明の画力やネーム力もあるが、ともに挑んだimaiの人柄やキャラとしての立ち具合もあるのではないか。そう考えた編集部は、imaiの単独インタビューをオファー。

快く引き受けてくれたimaiは、音楽愛とお笑い愛に満ちあふれた、高身長ナイスガイであった。

▲imai

映画監督、お笑い芸人…子どもの頃の夢

――幼少期についてお伺いしたいんですが、imaiさんはどんなお子さんだったんですか?

imai 父親の仕事の都合で、小2から小5の終わりまでイギリスにいたんです。

――イギリス! すごいですね、その頃というと……ブリットポップブームのあたりですか?

imai そうですね。当時は小学生だったんでそこまで深くは知らなかったんですけど、近所にHMVがあって、ジャミロクワイやブラーのポスターが貼ってあったことはぼんやり覚えてます。

――では、音楽への目覚めというのはどのあたりになるんでしょうか?

imai 目覚めで言うと、サザンオールスターズの『Kamakura』ってアルバムのカセットテープを両親が持ってたんですけど、それですね。あとはCHAGE&ASKAや槇原敬之も好んで聴いてました。

洋楽はジャミロクワイ、オアシス。日本に帰ってきたあとなんですけど、イギリスにいた頃に深層心理として“カッコいい”と思ってたのがあったのか、『ヴァーチャル・インサニティ』が入ってるジャミロクワイの3枚目のアルバム「トラベリング・ウィズアウト・ムービング」はよく聴きました。『HEY! HEY! HEY!』のチャートにも入るようになって。

――ジャミロクワイ、カッコよかったですよね。MDのCMに出たりして。

imai そうです、そうです(笑)。だから、周りの子より洋楽を聴くのは早かったですね。

――その頃の夢は、やはりミュージシャン?

imai 最初は映画監督になりたいと思ってたんです。小6の頃、近所に大きいTSUTAYAができて、友達と会員証を作って。そういう場所が近くになかったから、すごくうれしくて、もう端から端まで全部見てやろうと思って。とにかく毎日1本か2本借りて見て、自分の中で脚本とかアイデアみたいなものをメモしてたんです。

――まだ小学生、中学生くらいですよね?

imai はい。でも、それをしばらく続けたときに、ふとメモを読み返して気づくんです。自分のアイデアって全部何かのパクリだなと。自分のオリジナルが1つもないなって気づいて、もしかしたら向いてないかもって諦めたんです。

――その気づきもスゴすぎますけど……。

imai 一歩踏み出す前に諦めちゃってるんですよね。お笑いもそうなんです、チャレンジする前に諦めてる。それこそダウンタウン直撃世代で、みんなの価値観がひっくり返る瞬間を目の当たりにしているんですよ。お笑いだけじゃなくて、松ちゃん浜ちゃんのファッションも真似する、みたいな。

――imaiさんは映画にしてもそうですけど、好きになると深掘りしていくタイプなんですね。

imai そうだと思います。でも、ここでも映画と一緒で“ダウンタウンと違うものが作れるのだろうか”という壁にぶつかって諦めて、誰と比較してんだって話なんですけど(笑)。なぜか音楽に関しては、そこまで深掘りする前に“まあ行けるっしょ”みたいなマインドになったんですよね。もちろん、今となっては映画やお笑いと同じように難しいのはわかるんですけど、当時は“高校卒業したらすぐメジャー行けるっしょ”みたいな感じだったんです。

――推測になるんですけど、imaiさんがミュージシャンを志したタイミングも良かったのかなって。

imai あ、それはめっちゃあると思います。自分が音楽をやるうえでいくつかラッキーがあったうちの1つは、打ち込みの機械が安価になり始めたタイミングだったことですね。

「ELECTRIBE EM-1」という商品は5万円くらいで買うことができたので、一人で音楽と向き合うことができた。その前にバンドを組んでいたんですけど、やっぱり熱量の違いがあって、みんな辞めちゃったんですよ。

――それはツラいですね。

imai はい。だって、世の中を振り向かせようと思ってるのに、近くにいるメンバーすら振り向かせることができないわけですから。スゴい挫折ですよ、謎の自信はあったんですけどね。

でも、メンバーがどんどん辞めていくのを横で見ていて、デモをメジャーレーベルに送っても別に引っかかるわけじゃないし。このまま続けてても“どうなんだろう?”と思ったときに、ELECTRIBEのように一人で最初から最後まで完結して音楽を作れるツールがあったから、活動を続けられたんでしょうね。