大衆演劇、梅沢劇団の3代目座長として舞台に出演し続けている梅沢富美男。1982年には『夢芝居』が大ヒットし、紅白歌合戦にも出演。近年ではバラエティでの見事な立ち振る舞いや、ニュース番組のコメンテーターでの舌鋒鋭い発言など、老若男女を問わない人気を集めている。

そんな梅沢がさらに幅広い層の人気を獲得するきっかけとなったのが、TBS系列のバラエティ番組『プレバト!!』の人気企画「俳句査定」での活躍だ。長年番組で楽しいバトルを繰り広げている夏井いつき先生とのやり取りも人気で、梅沢は番組史上初の“永世名人”に昇格。その昇格を記念して発売されたのが『句集 一人十色』である。

今回、念願の句集を発売した梅沢に、俳句との向き合い方、そして、常に土壇場だったという少年時代。芝居と俳句の共通点などを伺った。

▲俺のクランチ 第25回(前編)-梅沢富美男-

テレビと映画が人気になり家が貧しくなった

役者・梅沢富美男が『句集 一人十色』(ヨシモトブックス:刊)を上梓した。レギュラー番組『プレバト!!』(TBS)で永世名人と呼ばれる梅沢が「傑作50句」を達成したことを記念して発売された句集である。

『プレバト!!』に出演する梅沢の姿を見て、筆者は不思議に思っていた。というのも、彼にはクイズ番組への出演NGという事実があったからだ。出演NGを決めた理由は「俺は中学しか出ていないから」。

「僕が中学に上がる頃、うちが貧しくなりましてね。テレビとか映画がドンドン人気になって、舞台がダメになる時代に入るんです。うちの親父もお袋も舞台役者ですから、梅沢劇団が貧乏になっていった。小学生の頃、僕は福島の祖母の家に預けられたんだけど、次第に親元からの仕送りが滞って、ギリギリの生活になっていくんです。そうすると学級費も給食費も払えない。鉛筆もノートも教科書も買えないから、勉強もできない状態で。だから、学校にもなかなか行ってないの。

でも、中学校の先生がいい人でね。お昼の5分くらい前になると『池田(梅沢の本名)』って声をかけて目配せしてくれた。『給食の時間にここにいたらつらいだろう』ということで、1時間どこかで遊んでこいという合図ですよね」

『句集 一人十色』を読むと、梅沢作のこんな一句がある。

給食費払へぬあの日の養花天

まさに、土壇場だった少年時代の梅沢の思いが込められた句だ。

芝居と俳句の共通点は人間観察と妄想

「俺は中学しか出てないから」という理由で、クイズ番組出演をNGにした梅沢。そんな彼が、学校で教わる俳句力を競う『プレバト!!』に出演しているのはなぜなのだろうか。

「役者って学ぶことが大事なんです。学ぶことを忘れるのがダメな役者で、そういう奴は覚醒剤に走ったり、調子こいちゃうの。だって、俺、この歳になって初めて百科事典買ったんだよ(笑)」

俳句を始めてから、梅沢の中で変わったことがあるそうだ。

「俳句っていうのは、実体験が大事。自分が感じたことね。だから今、(インタビュー中の梅沢を撮影するカメラマンを指し)カメラを持ってる彼女のことも気になるのよ。“なんで、うろうろしているんだろう?”と思いながら、興味が湧いている。

役者も同じで、瞬時にその人になるための妄想をするんです。“泥棒するときはどうするんだろう”“人を殺すときはどうやってやるんだろう”って妄想しながら、その人物像を自分の中で作るわけ。そこから役を作っていくのが役者のセオリー。まさに俳句みたいなもんですよ。だから、人間観察するときの観察力が、俳句を始めたことでもうひとつ大きくなったかな。だって、俺も女形をやるときに、女性をいっぱい観察して役を作ったわけだから」

さらに、芝居と俳句の共通点について梅沢は教えてくれた。

「俺たちが子どもの頃の芝居って、台詞にいい日本語をたくさん使って道徳を教えてくれてたんです」

梅沢が例に挙げたのは、人情噺『神崎与五郎 東下り』に登場する以下の台詞だ。

山に険阻な坂あれば 忍耐力の杖をつけ
海に怒濤の波あれば それ相当の舵をとれ
堪忍の忍という字は何と書く 刃の下に心と書く

「『山に険阻な坂あれば』、つまり、ものすごい坂道があったとしても、杖をついてでもなんでもいいから一生懸命登ってこい。で、大波が来ても『もうやめた!』とヤケクソにならないで、自分の心の舵をとれ。そういうのが、芝居の台詞であるんです。

で、こういう台詞って、ほとんど七五調だから。俺たちの台詞回しは七五調だし、5・7・5の俳句のリズムに自分は入りやすかったんです」

数々の“険阻な坂”を今まで登ってきたであろう梅沢が俳句にたどり着いた秘密。これでわかった。