デビュー作『富江』をはじめ、『うずまき』『首吊り気球』など、その美しくも怪奇な作品で世界を魅了し続けるホラー漫画のレジェンド作家・伊藤潤二。そんな彼がデビュー35年にして初めて明かす「唯一無二な世界」の作り方が収められたのが『不気味の穴――恐怖が生まれ出るところ』(朝日新聞出版)だ。

漫画界のみならず、多くのクリエイターにインスピレーションを与える「唯一無二の世界観」の作り方を初めて明かしたこの本を読むと、手の内を明かし過ぎでは? と感じるほど細部にわたるまで書かれている。デビューから35年、今やレジェンド作家となった伊藤にも「土壇場」はあったのだろうか。

インタビューでは、あんな恐ろしいホラー漫画を描いているとは思えないほど、伊藤は穏やかで温かく、こちらの質問にすべて丁寧に答えてくれたことを、ここに記しておく。

▲俺のクランチ 第25回-伊藤潤二-

普段は否定的な父が「絵」は褒めてくれた

『不気味の穴』の概要にこう書いてある。

自身の過去を振り返り、幼少期に影響されたもの、作品の裏話、漫画への思い、異次元の「発想法」や、「キャラクター」「作画」「テクニック」について、余すところなく書き尽くす

この言葉通り、自身のパーソナルな部分はもちろん、「アイデアの発想の仕方」「漫画の描き方」まで、贅沢に自身の手の内を明かしている。まず、この本の執筆に至った経緯について聞いた。

「まず、私の漫画がどうやってできるのかとか、自伝的なものも含めて書籍にしたいというお話をいただきました。今まで、漫画をずっと描いてきたので、そういった書籍で自分のことを書くのはおこがましいなという思いがあったんですが、もうベテランの域ですし、まあいいかなと(笑)」

担当編集者との細かいやりとりの末、出来上がったのが今作だという。編集者は年表を作り、それをもとに、細部まで作り上げていったそう。担当編集者は「伊藤先生の記憶力には舌を巻きました」と話す。

「いやいや(笑)。それは編集の方々が適切な質問や疑問をこちらに投げかけてくださるので、それをきっかけにして思い出すことが多かったです。ただ……出来上がりを読んで“書きすぎちゃったかな……しまったな”とは思いました(笑)。“キャラクターが自分の内面を表現している”というのは、これまでも話したことはあるんですけど」

ホラー漫画のレジェンドと呼ばれる伊藤。そんな彼の恐怖の原点はなんだったのだろうか。

「幼い頃、怖かったのは死ぬことでしたね。親の世代が戦争体験者だったので、ことあるごとに二度と戦争しちゃいけないという観点から、戦争の悲惨な話を生々しく話してくれたんです。特に“男は大人になると徴兵されて太平洋戦争で死んでいったんだ”みたいな話を聞かされて。姉弟のなかで男は私一人だったんで、“自分だけ死ぬのか”と思って非常に怖くてですね、思い出しては泣き出すみたいな感じでした。

父がテレビで太平洋戦争のドキュメンタリー映像を見ていて、零戦が突っ込んでいったりとか、そういうのが本当に怖かった。あとは『コンバット』というドラマ、それも当時は怖かった。ただ、不思議なことに、それらは今となっては興味深くなり、DVDなどで集めたりしてますね」

伊藤が絵に興味を深めるきっかけになったのは父親の言葉だった。

「父親はかなりネガティブな人間で、会社勤めがツラかったんでしょうけど、夜、お酒を飲んで酔っ払って帰ってくるみたいな感じで。私に対しても、けっこうネガティブな、否定的なことを言われる機会も多かったんですけど、絵は褒めてくれたんです。自分は趣味で風景画みたいなものを描いていて、壁に張ってあったんですけが、それを見た酔っ払った親父から“おお、これはいいぞ”と言われたんです」

さらに伊藤は、姉にも影響を受けていると語る。

「カルチャー的なことは姉ですね、一番上の姉と、二番目の姉がいるんですが、洋楽にも詳しくて、エレクトーンも習ってて、そういう感性は鋭かったですね。一番上の姉は、中学時代に友達を描いた絵が学校一の評価を得て、美術の先生に大絶賛されたこともありました。

思い出すと、親父も絵がうまかったし、お袋もうまかったですね。父は平成の明仁天皇が昭和の皇太子だったときに、何か記念のコンクールで、優秀な賞を受賞したことがあって、賞状が今もあります」

それでは、伊藤自身がどうだったのか。

「若い頃は対人恐怖症で、他人の視線が怖かったんです。ただ、20歳くらいの頃ですかね、ショックを受けたというか、目から鱗が落ちた言葉があったんです。精神科のお医者さんの書いた本で『他人は自分のことを見ていない』って書かれていて、“えーっ、そうだったのか!”って。それまで、私はずっと人から見られてると思いこんでいたので、その言葉でだいぶ楽になりました」