たまたま就職する時期が悪かったというだけで、つじつまが合わないことだらけで腑に落ちないキャリア人生を余儀なくされた、今を生きる40代。体育会系最後の世代ともいえる彼らは「上からは詰められ、下からは舐められる」「むかし言われていたことと今の現実のギャップがすごい」など、深い絶望に打ちひしがれている。健康社会学者として900人を超える働く人々へのインタビューをフィールドワークとしている、河合薫氏に届いたメッセージを紹介します。

※本記事は、河合薫:​著『40歳で何者にもなれなかったぼくらはどう生きるか -中年以降のキャリア論-』(ワニブックスPLUS新書:刊)より一部を抜粋編集したものです。

「学歴」がなくなるって言ってなかった?

【証言1】大手薬品関連会社勤務のホシヤマさん(仮名)42歳

「納得いかないのは“君たちが社会に出るときは、学歴が関係ない社会になる。誰にでもチャンスがある時代が来る”って、言われ続けたことです。

私は運よく今の会社に入社できました。正社員です。同級生には私より優秀なのに内定が出なくて、ものすごく苦労してる人もいたので本当にラッキーでした。だから、余計に“学歴が関係ない社会になったのかも”と思えたんですよね。

社内でも頑張れば認めてもらえるって思えたし、下が入ってこない状況もそんなに気にならなかった。腐らずに自分が頑張ればいいんだって。自分次第なんだから、と信じていました。

ところが、5つも下の後輩に追い越されてしまったんです。課長職です。うちの会社はもともとK大が強いんですけど、彼もK大です。K大以上じゃないと上にいけない、という現実を突きつけられショックでした。学歴社会は終わってなかった。私の出身大学の経営幹部はいません。

もう“夢”を追うには遅い年齢なのに、仕事のキャリアパスが見えないためか、“人生これでよかったのか”と後悔することが増えてしまいました」

▲いまだ根強く残る学歴社会に苦しむ40代は多い イメージ: Graphs / PIXTA

就職氷河期という厳しい時代でも、ホシヤマさんのように希望する企業に正社員として採用された人たちはいました。

氷河期=希望した会社に入れない、氷河期=非正規雇用という等式が一般化されがちですが、就職はいわば結婚のようなもの。希望する会社と学生の相性が運よく合えば、勢いで結婚できてしまうのです。

一方で、就職が厳しい状況だっただけに、「いま我慢すれば、いま乗り越えれば、いいことはある。だって、時代は確実に変わっているのだから」と彼らを勇気づける言葉もあちこちで散見されました。

それは苦しんでいる若者へのエールであり、絶望しないでほしいという年長者の思いやりであり、日本も今を乗り越えれば再び復活できる! という、バブルといういい時代を生きた人生の先輩たちの根拠なき楽観でもありました。

私に送られてきた「無間地獄」の嘆き

しかし、現実はそううまくはいかなかったのは皆さんご存知の通りです。

続いて3名の方の証言をご紹介いたします。

【証言2】体育会系最後の世代Aさん

「僕たち氷河期世代は、パワハラ、長時間労働、低賃金の三重苦に耐え、精一杯生きてきました。その後は働く環境も改善されましたが、恩恵を受けるのはいつも次の世代です。報われなさに絶望します」

【証言3】体育会系最後の世代Bさん

「今は、働き方改革で労働時間が短くなったけど、若い世代は家庭もプライベートも充実できていいなと思う。上の世代のようになりたくないので、自分も勉強してるけど、記憶力が落ちて効率が悪くて悲しい」

【証言4】体育会系最後の世代Cさん

 「私は希望した大企業の採用がなかったので、地元の中小企業に就職しました。なんでも自分でやらなきゃいけなかったので鍛えられたし、スキルも身についたので独立しました。その直後にコロナ禍です。また死にそうな思いをさせられました。なんとか生きてますが、この先も不透明ですし、厳しい状況が一生続くのが、私たちの世代なんだろうなって思います」

これらは「2023年の賃上げ」について、わたしが書いたコラムに送られてきたメッセージの一部です。

コラム自体は「日本の賃金はこの20年間上がっていないというけど、実際には上がらないどころか、下がっている」「45~54歳がもっとも減少幅が大きく、1994年の年収826万円から、195万円も下がっていた」「賃上げの恩恵を受けるのは大企業の20代30代」というお金に関することを書いたものでした。

ところが、送られてきたのは体育会系最後の世代からの「無間地獄の嘆き」のオンパレード。恩恵を受けるのはいつも下の世代、上の世代のようになりたくない、厳しさが一生続く……。

体育会系最後の世代の絶望は、深く、深く、とてつもなく深い。マリアナ海溝より深い絶望に打ちひしがれているのが、「何者にもなれなかったのぼくら」です。

▲「何者にもなれなかった自分」に40代は絶望している イメージ: Graphs / PIXTA

しかし、しかしです。

「俺たちはこの世界で生きていかねばならないのだ!」(映画『桐島、部活やめるってよ』にでてくるセリフ)

そして、生きるとは考えること。考えるとは幸せになること。上司に嫌われようとも、会社と喧嘩することになろうとも、自分で考えなきゃいけないのです。