「憂うつ」を「悟り」に変えるだけで未来が変わる

私たちは「先のことを考えて憂うつな気分になる」と思っていますが、これは「ただ自分の頭の中で考えているだけ」だから「意味のない無駄なことをやっている」と思っています。

そして「先のことを考えれば考えるほど、お先真っ暗で現実の世界でうまくいかない」となってしまうことがありますが「時間旅行をして、先のことを悟っている」となったら話が違ってきます。だって、誰も知らない「未来のこと」が考えを巡らすだけで分かるんですから。

憂うつな気分になって先のことばかり考えちゃう、というのが「時間旅行をしている」となったら「悟りの人」になることができちゃう。時間旅行をして悟りの人になったら「いくらでも現実を変えられちゃう!」となるから、さらに悟りが開けちゃう。「悟り」ってすごい言葉ですが、単純に「知らなかったことを知ること、気づくこと」なんです。

▲「憂うつ」を「悟り」に変えるだけで未来が変わる イメージ:PIXTA

たとえば、私の場合だったら「これから車で旅行に行く」と思ったら、自動的に「人の車にぶつけてしまったらどうしよう?」という先の不安が出てきてしまいます。「ぶつけた相手が、厄介な人だったらどうしよう?」と事故を起こした相手とのやりとりを想像して、一人で怒って、そして「なんで自分はこんなことを考えなきゃいけないんだ」と憂うつな気分になって「旅行に行くのは嫌だな」になっていました。

そこで、この「憂うつ」の枠組みを「悟り」と変えてみると、「あ! 私は時間旅行をして、未来に起きることを事前に知ることができている」になるわけです。未来を知ることで「未来は変わる」となります。

だから憂うつが「悟り」になると無敵状態になるわけです。なぜなら、未来を知っているから、私は同じ轍は踏まなくなる。一般的な悟りのイメージって「未来を知ってしまったら、定めとしてその未来を甘んじて受け入れる」という感じですよね。だから、悟りを開いたから、これからすべての困難を受け入れてもいいと。

そして「その生き方もかっこいい」と思った時に、自動的に「未来が変わってしまって、 どんどん楽しい方向に進んでいる」となっていくのは、人間には自動的に危機回避行動をする性質があるから。自分で自分を傷つけようとしても「あれ? 自分を傷つけることができない」となるのは、無意識という生命維持装置が人間に備わっているから。

未来のことを知ってしまって「悟り」で、その未来を甘んじて受け入れようとしても「無意識に危険を回避」という感じになるから、自動的に未来が変わって幸せになってしまう。

ですから「憂うつな現実を甘んじて受け入れよう」と悟れば悟るほど「あれ? 憂うつな気分になれなくなってしまった」と現実が楽しくなってきてしまう。

イメージする自分の言動を変えるたびに未来は変わる

学生時代に「このまま勉強をしなかったら赤点を取る」と憂うつな気分になっているのに、それを悟らずに「もしかしたら、勉強をしなくても奇跡的にいい点数が取れるかもしれない」と希望を持ち、自分の憂うつな気分を打ち消してしまって「あーあ、思った通り赤点を取って悪夢が現実になった」ということを繰り返していました。

本当だったら分かりきっていたはずなのに、自分の未来を知る力を否定して、失敗を繰り返してしまっていた。憂うつな気分で考えたことが現実である、と悟ればよかったのですが、私にはそれができずに、迷っているうちに分かりきっていた失敗を、また繰り返して憂うつな気分から抜け出すことができなくなっていました。

どうしても「その不幸な未来は避けられるかもしれない」と希望的観測を頭の中で作り出してしまって「悟り」を邪魔してしまうんです。

でも、この希望的観測自体も、時間旅行をして未来を見ているからできる技なんです。「悟り」で不幸な未来が変わった自分の姿を見てしまう。だけど、それをすることで「未来が変わる」となるから、最初に見た憂うつな未来が現実になってしまう。

たぶん、人から「悟りなさい」と言われても「私には無理!」と思ってしまうのは、どうしても「未来を自分の力で、いい方向に変えたい」と思ってしまうから。

▲イメージする自分の言動を変えるたびに未来は変わる イメージ:PIXTA

それだったら、脳内の時間旅行で「不幸な未来を自分の力で変える」という方法を使ってしまえばいいんだ、ということになります。

その方法は、憂うつな気分で先のことを考えている時に、自分の言動を何パターンも変えてみればいいのです。イメージの中で自分の言動を変えるたびに、自分の未来が変わっていきます。そして、自分の未来だけじゃなくて他人の未来も変わっていくから、とっても面白いんです。