木﨑のナルシシストキャラが生まれたきっかけは!?

――祇園さんと言えば、木﨑さんのナルシシストキャラを活かした漫才のイメージが強いですが、あのネタはどうやって生まれたんですか?

木﨑「もともと僕はナルシシストなんですけど、芸人でナルシシストはイタいと言われがちなので、ずっとひた隠しにしてたんです。けど、かまいたちの濱家さんと銀シャリの橋本さんが、大阪の5upよしもとっていう若手の劇場におられたとき、ワーキャーなイベントをやろうって言い出して、僕らくらいの若手が歌ったり踊ったりするライブをやってた時期があったんです。

みんなが恥ずかしがってるなかで、僕だけなんの違和感も持たずにやってたんで、お二人に『おまえだけ本気でやってんなぁ』って面白がっていただいて。あぁ(こういう一面を)出してもいいんやと思ったところから、ちょっとずつ出すようになったんです」

櫻井「その後、そのイベントがなくなって、僕たちも劇場を卒業することになったんです。当時はコントをメインにやってたんですけど、僕たちが次に行くことになったあべのハルカスの9階にあるスペースナインっていうところは、数十人が入るちっちゃな劇場で。

座ったりしたら(観客から)顔が見えへんっていうコントに不向きな劇場やったので、漫才をしないと話にならんなということになりまして。で、僕たちに何ができるだろうと考えたとき、木﨑のその感じがウケてたから漫才に取り入れてみたら反応をもらえたので、この方向でやってみようかということになったんです」

――今年で結成15周年ですが、これまでを振り返っていかがですか。

櫻井「仕事がなんにもない時期が10年以上あったんです。僕たち、ほぼほぼ仕事がなかったので今は楽しくやらせてもらえている実感もありますし、特に今が一番楽しいなと最近ほんまに思うので、恵まれているなと。あのときが一番楽しかったなって、そうなってしまったらやばいんでしょうけど、今が楽しいっていうのはすごくいいなと思ってます」

木﨑「そうですね。15年って若手の劇場やったら、けっこう上のほうなんで、経験もあるやろうって(周りから)めっちゃ言われるんですけど、相方も言ったように僕ら十何年、全く仕事がなくて。考えると、2018年くらいから5年くらいしか仕事といえる仕事はできてないので、いま芸歴5年目くらい」

櫻井「はい、5年目です」

木﨑「ぎゅっとしたら7年くらいですかね? まだわからんことばっかりなんで、いまだに毎現場、あぁそうなんやって思いながらやらせてもらってますね」

――2018年というと、上方漫才大賞の新人賞を獲られた年ですよね。それくらいからようやく仕事らしい仕事ができるようになったと。

木﨑「そこから生活できるようになりました」

櫻井「当時、僕らはラジオに憧れていて。トークライブを打たせてもらいたいって(劇場に)お願いしたんですけど、2軍やったこともあって、そういうのをやりたいんやったら、まず1軍に上がってくださいって取り合ってもらえなくて。自分たちでインターネットの……あれなんやったっけ?」

木﨑「Ustream?」

櫻井「そういうのが当時あったんですよ。で、作家の子に手伝ってもらって、二人でネットラジオの練習を……仕事ではないんですけど、そんなことをしてました。それくらいしかやることがなくて」

木﨑「舞台数が少なくて気ぃ抜いたら、あれ? 俺らって芸人なんかなって思うときが何回かありました。ありがたいことに、テレビの前説に、特に何もない時期から上沼(恵美子)さんの番組の前説にずっと行かせてもらっていて、そこで芸人さんやタレントさんと会うことで、かろうじて芸人をやってるんやと気持ちを保っていたような気がします。前説はめっちゃありがたかったです」

祇園さんへのインタビュー記事は、発売中の『+act. (プラスアクト) 2023年7月号』に全文掲載されています。