「選択的カップル別映画鑑賞」という提案
さて、本コラムで扱いたいのは選択的夫婦別姓問題ではない。「選択的カップル別映画鑑賞」についてだ。
以下は、知り合いが語っていた苦い思い出の記憶である。
ある日、付き合っている女性と一緒に映画館へ出かけた。彼女はディズニーのアニメ映画を見たがった。男は内心「あんまり観たくないんだけどなあ」と思いながら、彼女の希望を優先するつもりだった。
ところが、いざ映画館へ着いてみると、そのディズニー映画はもう良い席が残っていない。そしてふと目を移すと、観たいと思っていた地味めの日本映画がひっそりと上映しているではないか。男は喜び、本音を声に出してしまう。
「ねえ、こっちの日本映画にしない? これ、面白いんだって」
彼女は怪訝な表情を浮かべ、提案を却下する。
「ヤだ。こんな暗そうな映画」
男はカチンときて、心のなかでつぶやく。何が暗そうな映画だよ、宣伝費かけた大作しか知らないくせに。たまにはこっちの好みに合わせてくれてもいいじゃないか。
勢い余って、さらに本音を口にする。
「じゃあさ、こうしよう。オレはこっちの映画を観るから、君はディズニーのアニメを観ればいい。ちょうど同じくらいの時間だから、終わったらまた合流しよう」
この言葉を聞いた彼女の顔に浮かんだ怒りと悲しみの入り混じった冷徹な表情を、男は一生忘れないだろう。あれは『女囚さそり』の梶芽衣子や、『バトル・ロワイアル』の柴咲コウよりも冷たい眼だった。
この一件でほどなく別離を迎えた二人だったが、周囲の反応も男に厳しかった。
友人「最低。そんな男、みんな別れると思う」
男「でも、どうせ映画を観ている間は話もしないんだから、別々に好きな作品を観ればいいじゃん」
友人「同じ作品を、同じ時間に、一緒に観ることに意味があるの。そんなのもわからないから結婚できないのよ、バカ」
男「同じ映画を観ても、彼女の感想が薄っぺらでガッカリしちゃうんだ。その残念な感想を聞きたくない」
もう二十年も前のトラウマである。こうして男は女性と一緒の際に「選択的別映画鑑賞」行動をとってはいけないのだと強く学び、以降、映画はすべてひとりで見に行くようになったという。知り合いから聞いた話だ。