最新の国勢調査において、独身者人口が65歳以上の高齢者を約1200万人も上回っていることが判明した日本。もはや人口減少は避けられない状況で、人口を増やすことよりも、この現実を直視する必要が出てきている。そのリアルとは? 独身研究の第一人者である荒川和久氏が、歴史をたどり江戸時代の状況を分析する。

※本記事は、荒川和久:著『ソロエコノミーの襲来』(ワニブックス刊)より、一部を抜粋編集したものです。

江戸時代も独身の多いソロ社会だった

現代の日本の未婚率や離婚率の上昇に対して、「本来の日本人とは違う」と誤解されている方が多いようだが、むしろ逆である。もともと日本人は未婚も離婚も多かった。江戸時代から明治初期にかけての離婚率に関して言えば、当時の世界一だったかもしれないのだ。

現代の離婚率世界一はロシアの4.7%(人口千人当たりの離婚者数。出典:総務省統計局「世界の統計 2018」)だが、江戸時代はそれを超える4.8%だったと言われている(出典:参議院調査局第三特別調査室「歴史的に見た日本の人口と家族」2006)

未婚についても同様だ。以前、歴史人口学者の鬼頭宏(きとうひろし)先生と対談した際に「17世紀くらいまでは日本の農村地域でさえ未婚が多かった」と聞いた。結婚して子孫を残すというのはどちらかといえば身分や階層の高い者に限られており、本家ではない傍系の親族や使用人などの隷属農民たちは生涯未婚で過ごした人が多かった。

たとえば、1675年の信濃国湯舟沢村の記録によれば、男の未婚率は全体で46%であるのに対して、傍系親族は62%、隷属農民は67%が未婚だった。

それが、18世紀頃から傍系親族の分家や小農民自立の現象が活発化したことで、世帯構造そのものが分裂縮小化していった。それが未婚化解消のひとつの要因と言われている。つまり、今まで労働力としてのみ機能していた隷属農民たちが独立し、自分の農地を家族経営によって賄わなければならなくなると、妻や子は貴重な労働力として必須となるからだ。

結婚とは、農業という経済生活を営む上で、欠くべからざる運営体の形成のためのものだったのだ。このようにして、農村地域の未婚率はやがて改善されていくわけだが、それでも1771年時点での男の未婚率は30%(前述信濃国湯舟沢村)もあった。

圧倒的だった江戸の男余り

農村よりも未婚化が激しかったのが江戸などの都市部である。幕末における男の有配偶率を見てみると、現代の東京の有配偶率よりも低いことがわかる。

加えて、江戸は相当な男余りの都市だった。1721年の江戸の町人人口(武士を除く)は約50万人だが、男性32万人に対し、女性18万人と圧倒的に男性人口が多かった。女性の2倍、圧倒的に男余りだった。

つまり、江戸の男たちは、結婚したくても相手がいなかったということになる。現代の日本も未婚男性が未婚女性に比べ300万人も多い男余り状態である。江戸と今の日本はとても似ているのだ。

江戸初期の経済は、参勤交代によって江戸に集中した武士たちによって支えられていた。いわば「BtoB経済」だった。100万人都市の江戸の人口の半分は武士だったと言われる。商人にしてみれば、〇〇藩御用達になることが商売繁盛の鉄則だった。

しかし、江戸中期以降は、武士が次第に困窮していく。下級武士だけではなく大名家すら貧窮し、経済の中心は当時武士人口を凌駕し始めていた庶民に変わっていく。そして、その消費の中心として活躍したのが、江戸に生きた独身男性、つまり「江戸のソロ男」だったのである。

江戸時代にソロエコノミーの原型が存在したわけだ。