ロシアのウクライナ侵攻後、一大ニュースとなったフィンランドとスウェーデンのNATO加盟申請。しかし、両国の加盟はトルコの反対で難航した。なぜトルコは北欧2か国のNATO入りに難色を示したのか? 日本の今後の安全保障を考えるうえでも避けては通れないNATOをめぐる議論について、博覧強記の郵便学者・内藤陽介氏が詳しく解説します。
※本記事は、内藤陽介:著『今日も世界は迷走中 -国際問題のまともな読み方-』(ワニブックス:刊)より一部を抜粋編集したものです。
トルコが北欧2か国のNATO加盟に難色を示した理由
2022年2月のロシアのウクライナ侵攻後、日本でも大きく注目された出来事の一つが、同年5月にスウェーデンとフィンランドがNATOへの加盟を申請したという話題です。日本のメディアでは「これまで長年にわたり中立政策をとってきた北欧2か国が、ロシアの脅威を受けて方針を大きく転換した」などと報じられていました。
一方、これに難色を示したのが、NATO加盟国のトルコです。NATOへの加盟承認は加盟国の全会一致が原則なので、トルコが反対すれば両国はNATOに入ることができません。
その後、フィンランドはトルコの承認を得て、翌2023年4月4日、正式にNATOに加盟することができました。しかし、スウェーデンに関してはトルコがなかなか首を縦に振らず、ようやく2023年7月にトルコの承認を得ることができました。
そもそも、なぜトルコは北欧2か国のNATO加盟に難色を示していたのでしょうか。
理由は、大きく2つあります。
一つは、あくまでもトルコ側から見てですが、両国(特にスウェーデン)がクルド人のテロリスト(とトルコ側が認定している人々)をかくまっていること。もう一つは、2019年にトルコが内戦中のシリアのクルド人地域に越境攻撃したことに対し、両国が「非人道的だ」とトルコを非難し、武器禁輸などの制裁を行ったことです。
「この2つが納得できないから、両国のNATO加盟は認められない」というのがトルコ側の言い分でした。つまり、どちらもクルド人絡みの話です。
ご存じの方も多いと思いますが、トルコは国内にいわゆるクルド人問題を抱えています。クルド人は、トルコ・イラク・イラン・シリアなど中東世界の国々の国境付近にまたがって居住している山岳民族であり、独自の国家を持たない世界最大の民族集団だと言われています。そのなかでも、クルド人が多く住んでいるのがトルコです。
クルド人は、これまで自治・独立を求めてトルコ政府とたびたび武力衝突してきました。そして、それをトルコ政府が強権的に押さえつけるたびに、欧米諸国が人権弾圧・非人道的と非難する構図が今日まで繰り返されています。
ただし、クルド人と言ってもいろいろな人たちがいます。トルコ社会に溶け込んで政府と対立せずに暮らしているクルド人もいれば、自治・独立を目指してトルコ政府と対立し、実際にテロを行っている過激派のクルド人もいるため、生活ぶりも考え方も非常に幅が広いわけです。なかにはクルド人の国会議員もいます。クルド人だからといって、民族一丸となってトルコ政府と敵対しているわけではありません。
一方、トルコ政府から反体制的と見なされたクルド人が厳しい弾圧を受けているのも事実です。欧米諸国はそこを問題視してトルコを非難してきました。
しかし、スウェーデンとフィンランドがNATOに加盟したいという“弱み”を見せたことで、一気に形勢が逆転します。
バイデンをも手玉にとったエルドアン
じつは2022年6月28日の時点では、トルコが反対を取り下げたことで、フィンランドもスウェーデンもNATO加盟の見通しが立っていました。
というのも、北欧2か国が、安保上の問題でトルコへの「全面支援」を約束し、(トルコ側が言うところの)クルド人のテロ組織を支援せず、クルド人活動家らの身柄引き渡し手続きも加速させると盛り込んだ覚書に調印したからです。ようするに、トルコ側の要求を北欧2か国がそのまま受け入れる形で“妥協”が成立したわけです。
これを受けてアメリカのバイデン大統領も翌29日、マドリードでNATOの首脳会談に合わせてトルコのエルドアン大統領と会談し、トルコが北欧2か国の加盟を認めて事態を収拾してくれたことに感謝の意を述べました。
それだけでなく、バイデン政権のセレステ・ウォランダー国防次官補(国際安全保障問題担当)が、このタイミングで「トルコの防衛力強化はNATO全体の防衛力強化に寄与する」として、トルコが希望していたF16の新規購入と既存のF16の近代化を「全面的に支援する」と表明しています。
ちなみに、バイデンは半年前の2021年12月にアメリカ主導で「民主主義サミット」を開いた際には、トルコの人権状況が悲惨なものであることを理由に、NATOの同盟国であるトルコを招待していません。にもかかわらず、今回の北欧2か国のNATO加盟問題では手のひら返しでエルドアンに「ありがとう」と言っています。
ようするに、トルコは、北欧2か国のNATO加盟を政治的な駆け引きに最大限に利用して、クルド人問題で欧米から攻められていた状況を一気にひっくり返したわけです。
その後もエルドアン大統領は、フィンランドの加盟だけ認めて「テロ対策が不十分だ」とスウェーデンの加盟に反対するなど、関係各国を振り回してきました。
これに対し、スウェーデンは、憲法を改正して新しい反テロ法(過激派組織を支援するなどした個人に最大禁錮8年、テロ組織の指導者には終身刑が科される)をつくるなどトルコに歩み寄ります。
スウェーデン政府のこうした姿勢に、国内のクルド人社会が大パニックに陥ったのは言うまでもありません。「政府はNATO加盟と引き換えにクルド人を売り渡した!」といった批判の声が高まりました。
ご存じの方も多いと思いますが、スウェーデンはクルド人だけでなく、世界各国から政治難民を積極的に受け入れてきた歴史があります。また、政治難民たちもスウェーデン社会のリベラルな空気(政治難民にとっての安心・安全)を求めて、スウェーデンにやって来ました。
そのため、政府がNATO加盟と引き換えにクルド人を「売り渡した」ことは、政治難民たちや彼らの保護に熱心な国内の左派・リベラル系の人々からすると、明らかに“裏切り行為”であり、今後さまざまな形で国家にとっての“火種”になる可能性があります。
いずれにせよ、この一件でトルコはほぼ「ひとり勝ち」と言っていいほど、大きな“外交的利益”を手に入れたと言えるでしょう。