漫画家への道を諦めなかった理由

板尾 芸人を諦めて、漫画家になろうと思ったんですか?

たか はい。ずっとギャグ漫画を描いていたんですけど、全然なんにもなりませんでした。なんの根拠もなく上京して、それが26歳。そこから40歳で初めて出版社から声かけてもらうまでずっと。

板尾 ほおー、40歳まで。急に風向きが変わったんですか?

たか ずっとコンビニでバイトしていたんですけど、本当にバイトしてるだけの毎日になってきて、これはまずいなと38歳のときに思って。それで40歳になるまでは頑張ってみようと。そう思って漫画に取り組んだら声をかけていただいたんで、“ああ、単純に努力が足りなかっただけだったんだ”って気づきました。

板尾 そういうことってありますよね、自分がやりたいことをやってても引っかからないけど、読み手や関わる人のことを考えたら、うまいこといくみたいなね。

たか それで言うと、今で連載は2作目なんですけど、その1作目と2作目のあいだに初めて「絵の描き方」みたいな本を読みました。

板尾 え、そうなん?(笑) そのタイミングで?

たか 努力が足りなかった分、今は日に日に絵がうまくなっている実感があります。

板尾 1作目は?

たか 『契れないひと』って作品なんですけど、もう勢いで描いてましたね。結果、めちゃくちゃ売れなくて……。勢いだけじゃ駄目だなって。

板尾 たしかに、お笑いでも伝え方のわかりやすさみたいなものは絶対に必要ですね。世間を意識し始めると、やっぱり商品なんやなって気づくし。

たか ですね。読む人に対する想像力とか、そういうのが全然足りてなかったなって思います。

板尾 でも、たかさんの漫画は読みやすいですよ。あっという間に読めた。それが漫画家さんから見て、ええことかどうかわからないけど、僕は大事なことやと思うし。好き嫌いはあると思うけど、人間の細かい感情とか、そういうのを描いているから。

たか すごくうれしいです。

板尾 漫画家はやめようと思わなかったんですか?

たか なかったです。ちょっとしつこいんですよ、性格が。

板尾 (笑)。

たか 絵が飛び抜けてうまいわけでもなかったし、本当にしつこかっただけだと思います。リアクションがないとキツい仕事だし、本当にずっと引っかからなかったし。自分は全然人気なかったですけど、同人誌も作ってたんです。でも、自分が一番面白いものを作れてると思ってはいました。結果は伴ってなかったですけど。

板尾を支えた島田紳助からの言葉

――板尾さんが芸人を志したのも、“自分は面白い”という気持ちがあったからですよね。

板尾 そうですね。関西っていう風土もあったと思うんですけど、自分の言うことがウケてるなっていう実感はありましたね。

たか クラスの人気者タイプだったんですか?

板尾 いや、すごく明るくて人前に出てなんかやるってタイプではなかったかな。逆に、そういうのを醒めて見てました。

たか 板尾さんのイメージ通りでよかったです。

板尾 ボソッと何かを言って、それがウケてるなとは思ってました。でも、やはり関西という場所全体がお笑いに対してすごく敏感やし、自分が面白くないほうではないという自覚はあったけど、じゃあそれで芸人を目指すかっていうと……そうではなかったですね。自分が芸人になれるわけがないと思ってました。

たか そこから、紳助さんの弟子になりに行ったのはどうしてですか?

板尾 あれは、このまま仕事をしててもあんまり面白くないだろうなと思ったのと、本当にやりたいことがなかったし、普通に働きたくなかったという気持ちですね(笑)。やりたいことないから、唯一ちょっと興味があるお笑いにいった感じですね、ダメ元で。

――市役所の人に紳助さんの住所を聞いたら教えてくれた、という話が衝撃でした。

板尾 たしかにね(笑)。まあでも、大阪やし、地元の人はみんな知ってたと思う。紳助さんもテレビとかラジオで、どのあたりに住んでるか言ってたし。それで紳助さんの家に行ったら、きちんと御本人が出てきて対応してくださって「もう弟子はいるから、新しくは取れないんだけど、吉本でNSCって学校があるから、そこ行ったら?」って言われたんです。それでNSCに入学しました。

たか NSCはどうでしたか?

板尾 うーん。当時は、別に入ったからどうにかなるって場所でもなかったかな。専門学校じゃないし、別に面白くしてくれるとかではないし、ひとつのキッカケに過ぎなかったなと思います。おもろいヤツもおれへんかったし。

今思えば、発信基地みたいなものだったのかな。僕も含めて、どう発信したらいいかわかれへんヤツの発信基地。ここに通ってたらプロになれんのか?ってことも含めて、ようわからなかったから、後半は全然行かなくなってましたね(笑)。

▲紳助さんからの言葉が自分を支えてくれた

――板尾さんが通っていた頃は、NSCができて数年の時期ですもんね。当時の板尾さんを支えていたものってありましたか?

板尾 支えっていうのかわからないけど、ダウンタウンさんとかと絡んで一緒にさせてもらってる、というのはありましたね。あとは、最初に紳助さんの家に行ったときに「3年芸人やって、アカンかったらやめろ」って言われたんで、とりあえず3年は一生懸命やってみようとは思ってました。20歳くらいだったんで、3年やってもまだ24~5歳だから、そこでアカンかったら就職しようって考えてました。

たか どうしても芸人やってやろう、という感じではなかったんですね。

板尾 僕はそのタイプではなかったですね。執着がなかったんで、無理だったら無理で、しょうがないなって。逆に最初に紳助さんにそう言われたことで救われましたね。紳助さんがそう言うんやったら、そうなんやろうなって。

≫≫≫ 二人が下積みから現在までを語る「板尾と漫画家-たかたけし-」後編は9月25日に公開予定です。お楽しみに!


<イベント情報>
関西演劇祭 2023
日程:2023年11月11日(土)~19日(日) ※休演日あり
場所:COOL JAPAN PARK OSAKA SS ホール(大阪市中央区大阪城3-6)
参加劇団:Artist Unit イカスケ / 演劇 組織 KIMYO / 餓鬼 の断食 劇団イン・ノート / 劇団FAX / バイク劇団バイク / PandA / MousePiece ree / 無名劇団 / ヨルノサンポ団