三沢光晴・川田利明・小橋建太とともに1990年代の全日本プロレス平成黄金期を牽引した田上明。2013年12月の引退から10年を迎えるにあたって、自伝『飄々と堂々と』(竹書房)を10月11日に出版した。

4億円の負債と胃がん…逆風に飄々と立ち向かう

田上明と言えば、ぼやき節。今回の初の自伝出版についても「いやあ、出版社の方からお話をいただいて、俺の人生も終盤に入っているし、見つめ直すにはいい機会かなと思って引き受けたけど……なんか照れ臭いね。読んだ人の人生に役立つこと? なんの参考にもなりません!」という期待どおり(?)の言葉が返ってきた。

大相撲で十両まで昇進し、87年夏に26歳でプロレスに転向。その後、ジャンボ鶴田のパートナーに抜擢されて世界タッグ王者になり、鶴田が第一線を退いた93年からは川田利明と聖鬼軍を結成して三沢や小橋らの超世代軍と対峙。96年には『チャンピオン・カーニバル』初優勝、三冠ヘビー級初戴冠、世界タッグ奪取、暮れの『世界最強タッグ決定リーグ戦』優勝のグランドスラムを達成した。

2000年7月にプロレスリング・ノアの旗揚げに参加し、05年11月には「じじいの最後っ屁」と、44歳にしてGHCヘビー級王者になり「田上火山」「ダイナミックT」と呼ばれて一時代を築いた。

だが、その後の人生は波乱万丈。09年6月に社長兼エースの三沢が試合中のアクシデントで急逝後、社長を引き継いで二足の草鞋を履くことに。そして現役引退から3年後の16年11月、経営難からエストビー社(その後、ノア・グローバルエンターテインメントに社名変更)に事業譲渡し、所属選手と従業員全員が同社に移籍。田上はノアの負債4億円をひとりで背負ったのである。

財産すべてを投げ打って返済に回し、55歳にして破産。家族との生活を守るために宅配業者の仕分けのアルバイトもやったが、ぼやき節が名物の田上が愚痴をこぼすことは一切なかった。

「愚痴ってもカッコ悪いだけだよ。愚痴言って、どうにかなるならいいけど、ならないからね。どうやって乗り越えたか? どうにかしないと生きていけないからしょうがないから頑張っただけ」と淡々と語る田上。余計なことは口にせず、黙々と、さりげなく一生懸命に逆風に立ち向かう姿は、ライバルだった三沢に通じるものがある。

田上の試練はこれだけではなかった。後輩レスラーでステーキハウス『ミスター・デンジャー』を営む松永光弘に肉の下処理の仕方を教わって、ステーキ居酒屋『チャンプ』を茨城県つくば市で始めた矢先の18年3月、胃がんが見つかって胃の全摘手術を余儀なくされたのだ。

「胃潰瘍で胃に穴が開いていて、そこから大量出血したらしいんだよ。病院に運ばれた時には出血性ショック死の可能性もあるってことで、家族全員が呼ばれちゃってさ。まあ、胃を取って1か月ぐらいで酒は飲むようになったけどね(笑)。お医者さんには“たしなむ程度なら”って言われているけど、ついつい。胃がないから急に酒が回って酔っ払っちゃうんだよ(笑)」と、大病についてもサラッと笑い話にしてしまう。

レスラー、ファン…そして家族に囲まれた平穏な時間

55歳での破産、58歳でのがんを乗り越えて店を軌道に乗せた田上は、ここ数年は四天王の戦友である川田や小橋、同じ時代に新日本プロレスで闘魂三銃士として一時代を築いた武藤敬司や蝶野正洋とのトークイベントに駆り出される機会が多い。

ノアの負債を抱えるという、いい形でのプロレス界からの去り方ではなかったが、「俺は憧れてプロレス界に入ったわけじゃなくて、相撲をやめて仕事として入ったから、プロレスに対する執着はないの。かといって遠ざける理由もないから、トークとかイベントとか解説とか、呼ばれれば行きますよ。川田があんなに喋るヤツだとは思わなかったし、小橋は相変わらずナルシスト(笑)。武藤は好きなように生きている感じだよねぇ。まともなのは蝶野かな?」と、そのスタンスはフラットだ。

田上の店には後輩レスラーやファンもステーキを食べに来る。ドイツからわざわざ来たファンもいたという。「俺はいつも店の定位置で酒を飲んでいるだけ。でもファンの人に頼まれれば写真も撮るし、そういうのも今の俺の楽しみなのかな。“まだ来てくれるんだ”って」と田上。

2023年5月8日に62歳の誕生日を迎えたが、今後の人生をどう考えているのだろうか?

「何もないよ、疲れちゃったもん。腰が痛くて、楽しめてないよ。釣りも行ってないし、バイクも乗ってないし、何もやってない。何が楽しいんだろうね、俺?」と田上ぼやき節が全開だ。そして「波乱の人生はもういいよ。今、孫が4歳なんだけど、すくすく成長するのを見守りながら、波風の立たない生活を送る(笑)。最近は孫にも邪見にされるんだけどさ。でも、俺が店のお客さんと話したり、写真を撮ったりしていると嫉妬するんだよ。それがかわいくて(笑)」とも。

波乱を乗り越えてようやく訪れた平穏な時間。田上火山は今、ようやく休眠の時を迎えたが、それでも「俺の人生は、まあこんな感じだけど、人生は自分のものなんだから後悔しないように好きに生きるのがいいよ。俺がノアの社長を引き受けたのも……あのときは、ああするしかなかったんだからしょうがねぇって。それで今、ノアがいっぱしになって、食ってる選手がいるんだからねぇ」と熱い気持ちが見え隠れする。

田上火山の地底には、いまだに熱いマグマがふつふつと沸き立っているのだ。

▲何を聞かれても飄々と受け答えする姿は現役時代と変わらない