かつて「不屈のテキサス・ブロンコ」として日本中の少年少女を熱狂させたテリー・ファンクが、2023年8月23日に亡くなったことがWWEから発表された。

父は往年の名レスラーでテキサス州アマリロのプロモーターでもあったドリー・ファンク・シニア、兄は28歳の若さでNWA世界ヘビー級王者になったドリー・ファンク・ジュニアという名門に生まれたテリーは、感情をストレートに表現するファイトが魅力だった。

ブッチャーとの名試合で大人気選手に!

日本で人気が爆発したのは1977年12月15日、蔵前国技館における『オープン・タッグ選手権』での兄ドリーと組んでのアブドーラ・ザ・ブッチャー&ザ・シークとの公式戦だ。

ブッチャーに右腕をフォークで刺されて一度は戦闘不能に陥るも、腕をテーピングでグルグル巻きにしてブッチャー&シークに蹂躙されるドリーを救出。試合結果は反則勝ちという不本意なものになったが、右腕を血で染めながらも兄を救うテリーの姿にファンは熱狂。この日を境にテリーは日本人、外国人選手の枠を超越したスーパーアイドルになった。

それにしても腕をフォークで刺すというシーンは衝撃的だった。後年、ブッチャーになぜそんなことをしたのかを聞くと「私が相手の腕にフォークを突き刺したのは、実はあの1回だけだ。くだらない相手だったら、やっていない。テリーはガッツがあるからな。彼はプロフェッショナルだ。リングで起こったことをすべて受け止めるヤツだ。そういうヤツを痛めつけるのが私のビジネスだ」とニヤッと笑った。

そしてブッチャーの言葉をテリーに伝えると「あいつらは(日本語で)バカ! ブッチャーはクレイジーボーイでシークはデンジャラスな野郎だ。あいつらはリアルにクレイジーだぜ」と、こちらも笑っていた。

あんな壮絶な戦いをしていて、ともに笑い飛ばせてしまうのがテリーとブッチャーの関係だった。それほどにタフな男たちだったのだ。

どこまでも「タフ」を貫いた生涯

テリーにインタビューしていて、印象に残っているのは「タフ」「タフガイ」というワードがよく出てきたことだ。

「重要なのは俺たちがタフガイだったということだ。このビジネスはタフガイがやるものであり、タフガイでなければ生き残れない厳しい世界だ。レスリングビジネスはタフガイワールドなんだ」

抗争を続けていたブッチャーが1981年春に新日本プロレスに移籍したあと、テリーのライバルに浮上したのがウェスト・テキサス大学アメリカンフットボール部の後輩であり、プロレスにスカウトしたスタン・ハンセンである。

二人は師弟関係と言ってもよかったが、日本でトップ外国人に君臨しつづけようとするテリーと、そのトップの座を奪い取ろうとするハンセンの世代闘争は、時としてプロレスの範疇を超えた。1982年4月14日の大阪府立体育館における一騎打ちで、ハンセンが血ダルマのテリーの首にブルロープを撒いて宙吊りにしたシーンはテレビでカットされたほどだ。

「いまだにスタンとの激闘の数々の後遺症は残っている。俺の身体はボロボロだよ。ただ、それが俺たちのやり方なんだ。日本のファンはリング上でダンスを観たくないだろ? みんなフィジカル・レスリングを望んでいたはずだ。激しくやり合ったが、俺たちはお互いにリスペクトしていた。そんな俺たちのハードでリアルなコンペティション(競争)に日本のファンは熱狂し、リスペクトしてくれたんだと思う」

2015年11月、天龍源一郎引退試合にゲストとして来日したときに聞いた言葉。これがテリーの最後の日本になってしまった。

晩年には2013年11月、翌14年12月、そして天龍引退試合に来日したが、かつてのテリー・フファンクのイメージを壊さないようにトレーニングをし、髪を切り、髭を整えていたという。

スーパーアイドル時代は、女性ファンのテリー親衛隊が各会場で黄色い声援を送っていたが、そんな彼女たちが母親となり、自分の子どもたちを連れて会いに来てくれることをテリーはすごく喜んでいた。

テリーのプロレス人生はホントにタフでハードだった。日本では80年代に終了したブッチャーとの抗争は、アメリカでは2003年7月まで続いた。同年7月26日、フロリダ州オーランドのMLWという団体の大会でテリーが勝利している。

その後もダスティ・ローデス、ジェリー・ローラーらと全米各地のインディー団体で抗争を繰り広げ、71歳(2017年)までリングに上がった。

そして今回の訃報。まさにタフガイなプロレスラーとしてまっとうした79年の人生である。

亡き父ドリー・ファンク・シニアの話になったとき、テリーはこう言った。

「父は、父が望んでいた通りの人生を歩むことができたと思うし、俺も父が望む通りに一生懸命生きてきた。俺の人生は素晴らしい旅をしてきたと思う。人生はどんな道を選んでも素晴らしいものだ。無意味な人間はいないし、生まれてきた以上は、その人に何かしらの価値が必ずある」